新生活155週目 - 「兄弟の忠告」

今週も福音のヒントに学ぶ。今日の箇所は「年間第23主日 (2023/9/10 マタイ18章15-20節)」。ルカ伝17章に兄弟の罪に触れる箇所があるが、並行箇所と言えるかどうかは疑問。

福音朗読 マタイ18・15-20

 〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕15「兄弟があなたに対して罪を犯したなら、行って二人だけのところで忠告しなさい。言うことを聞き入れたら、兄弟を得たことになる。 16聞き入れなければ、ほかに一人か二人、一緒に連れて行きなさい。すべてのことが、二人または三人の証人の口によって確定されるようになるためである。17それでも聞き入れなければ、教会に申し出なさい。教会の言うことも聞き入れないなら、その人を異邦人か徴税人と同様に見なしなさい。 
 18はっきり言っておく。あなたがたが地上でつなぐことは、天上でもつながれ、あなたがたが地上で解くことは、天上でも解かれる。 19また、はっきり言っておくが、どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。20二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」

私は、今、日本基督教団砧教会の主任担任教師である金井美彦氏から弾圧されている。加えて、責任役員であり書記である佐分利正彦氏は事実の隠蔽を公言(別帳会員移行に関する議事録を含む関係議事録の非開示の明言、あわせて金井美彦氏はあなたには砧教会で何の権利もないとの宣言)し、教会は完全に自浄作用を失った状況にある。後ろ暗いところがなければ全部開示すれば良いだけだ。既に会堂再開はあったと主任教師が明言しているのにも関わらず、会堂再開はなかったと明言した会計役員が今も財布を預かっている。証拠を示せと言って、証拠を提出すればそれを握りつぶすものが役員会に残り、奏楽も担当している。正直言って、私は、砧教会は腐り切っていると思っている。腐り切っている以上、膿は出し切って、再生されなければいけない。このままであれば、教団は金井美彦氏の按手礼も撤回すべきだろう。私の知る限り、私の申し出に対する調査が行われている気配もない。教団も傷んでいると言って良いだろう。

もちろん、組織は人間が構成するものだから誤りもある。聖職者が誤りを犯した事例など掃いて捨てるほどあるから珍しいことだとは思わない。しかし、だめなことはだめだろう。決して不実を闇に葬る気はない。徹底的に戦う。

さて、そういう背景がある中で、この聖書箇所は私にとっては不愉快極まりない箇所である。現実に「金井美彦があなたに対して罪を犯したなら、行って二人だけのところで忠告」した。一度は耳を傾けたが、当事者の佐分利正彦氏に調整を依頼して事実を捻じ曲げ、経緯を明らかにすることなく書面総会を実施するという暴挙に出たのである。教会に申し出ても事実に基づく検討はなされず、ありもしない牧師の権威を振りかざして独裁が続けられている。砧教会は腐ってしまったのである。この聖書箇所は全く機能しない。

しかし、私は「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」は単純に信じている。いかに、教会が傷んでいたとしても礼拝は礼拝だと思っているし、そこに主はいると感じることはある。なぜかはわからないが、牧師の説教が腐っていると感じるときにも、それだけではないものを感じることがあるのは正直な思いだ。

50年関わった教会が腐ってしまったら、どうすれば良いのだろうか。毎日のように考えて、祈っている。真実を明らかにすることによらなければ決して信頼関係が回復することはないだろう。あきらめずに前を向く。

今日の箇所に限って言えば、福音のヒントの記述もきれいごとにしか取ることはできない。牧師の自己保身の罪は重く、その影響範囲は広い。悔い改めて一から出直してもらいたい。正直に言って、金井美彦氏をそそのかした者の顔など二度と見たくない。そういった心持ちだが、なお出口はあると信じている。

とりあえず、今日は諸悪の根源佐分利正彦と自己保身で事実をまげて真実を語るものを弾圧した金井美彦を砧教会から追放するまで毎週真実を訴求することを決断した。今日から、新たな真実への戦いが始まる。