新生活157週目 - 『「ぶどう園の労働者」のたとえ』

今週も福音のヒントに学ぶ。今日の箇所は「年間第25主日(2023/9/24 マタイ20章1-16節)」。並行箇所はない。

福音朗読 マタイ20・1-16

 〔そのとき、イエスは弟子たちにこのたとえを語られた。〕1「天の国は次のようにたとえられる。ある家の主人が、ぶどう園で働く労働者を雇うために、夜明けに出かけて行った。2主人は、一日につき一デナリオンの約束で、労働者をぶどう園に送った。3また、九時ごろ行ってみると、何もしないで広場に立っている人々がいたので、4『あなたたちもぶどう園に行きなさい。ふさわしい賃金を払ってやろう』と言った。5それで、その人たちは出かけて行った。主人は、十二時ごろと三時ごろにまた出て行き、同じようにした。6五時ごろにも行ってみると、ほかの人々が立っていたので、『なぜ、何もしないで一日中ここに立っているのか』と尋ねると、7彼らは、『だれも雇ってくれないのです』と言った。主人は彼らに、『あなたたちもぶどう園に行きなさい』と言った。8夕方になって、ぶどう園の主人は監督に、『労働者たちを呼んで、最後に来た者から始めて、最初に来た者まで順に賃金を払ってやりなさい』と言った。9そこで、五時ごろに雇われた人たちが来て、一デナリオンずつ受け取った。10最初に雇われた人たちが来て、もっと多くもらえるだろうと思っていた。しかし、彼らも一デナリオンずつであった。11それで、受け取ると、主人に不平を言った。12『最後に来たこの連中は、一時間しか働きませんでした。まる一日、暑い中を辛抱して働いたわたしたちと、この連中とを同じ扱いにするとは。』13主人はその一人に答えた。『友よ、あなたに不当なことはしていない。あなたはわたしと一デナリオンの約束をしたではないか。14自分の分を受け取って帰りなさい。わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。15自分のものを自分のしたいようにしては、いけないか。それとも、わたしの気前のよさをねたむのか。』16このように、後にいる者が先になり、先にいる者が後になる。」

最初読んだ時は、変な話だと思った。公平じゃないと思ったのだが、信じる順番は関係ないという教えには納得感がある。

ちなみに、ESVでは、1節は以下のように訳されている。

For the kingdom of heaven is like a master of a house who went out early in the morning to hire laborers for his vineyard.

天の御国は、朝早くから自分のぶどう園のために労働者を雇いに出かける家の主人のようなものである。

天国はワイン農園の主人のようだという表現にはインパクトがある。天国は人のように働く動くものだという理解は天国はやがて行く場所というイメージを根底から覆すものだ。

天国(の主人)は、そこに入る可能性のある者に声をかけ、声に応じて入った人はその順番に無関係に同じ報酬(恵み)を与えるという解釈はすごい。それは「信じる順番は関係ないという教えには納得感がある」という私の理解と通じるものだ。

古参の教会員は後回しにされるというのは実は福音だと思う。同時に、既に教会に属していても悔い改めれば新参者になるのだからすごい。

「御国を来たらせ給え」という主の祈りはこの主人のようにこの世に出てきて下さいという祈りと取ることもできる。あの世に行くという話ではなく、あの世とつながるという話になる。自分ひとりの行く末の問題ではない。この世が変わるということだ。ただ、自分に届いた声が本物かは誰にもわからない。良くよく自分の頭で考えなければいけない。大人になるまではしょうがないとしても、誰か他人に依存した状態のままでいるのは好ましいことではない。広く情報を収集しつつ、自分の足で立たなければいけない。

※画像はWikimediaから引用したレンブラントのもの。サンクトペテルブルクのエルミタージュ美術館にあるらしい。でも、このシーンの映像化には誰一人成功していないように思う。