新生活162週目 - 「最も重要な掟」

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今週も福音のヒントに学ぶ。今日の箇所は「年間第30主日 (2023/10/29 マタイ22章34-40節)」。ルコ伝12章とルカ伝10章(見出しは異なる)に並行箇所がある。私の好きな聖句のひとつである。

福音朗読 マタイ22・34-40

 34〔そのとき、〕ファリサイ派の人々は、イエスがサドカイ派の人々を言い込められたと聞いて、一緒に集まった。35そのうちの一人、律法の専門家が、イエスを試そうとして尋ねた。36「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか。」37イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』38これが最も重要な第一の掟である。39第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』40律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」

恐らく、誰であっても、最も重要な掟は何かは知りたいのではないかと思う。十戒の1番目は「わたしのほかに神があってはならない。(カトリック)」である。「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。」はそれと一致しないが、十戒は禁止事項の羅列で、イエスの教えはやるべきことを述べているので同じことを表していると考えてもよいだろう。

十戒の最後が「隣人の財産を欲してはならない。(カトリック)」なので、これをイエスが教えれば「隣人を自分のように愛しなさい。」となるのはしっくりと来る。これを守れば、十戒の4-10はカバーすることになるだろう。

あなたの父母を敬え。
殺してはならない。
姦淫してはならない。
盗んではならない。
隣人に関して偽証してはならない。
隣人の妻を欲してはならない。
隣人の財産を欲してはならない。

もちろん、「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。」を守れば、十戒の1-3をカバーすることになる。

わたしのほかに神があってはならない。
あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。
主の日を心にとどめ、これを聖とせよ。

福音は隣人を極大化せよということだから、システム的によくできていると思う。

福音のヒントで「隣人を愛することこそが神の望みである」と説いている。自然な解釈だが、行うのは容易なことではない。旧約のようにアウトを決めていく方向に進むと権力の独占と排他性が高まってしまう。ある程度成功したら、守りに入ることになる。いくら誠実に律法を守ったとしても、どんなに良い言葉を語っても、他人を排除することで自分をインに置こうとするようになったら、もはやその愛に持続性はない。私は説教者が「私達クリスチャンは」と発言するようになったら、その時はまがいもの状態だと思っている。自分はインだと宣言しているのと同じで、差別的発想に立っている証明だからだ。時に扇動者は人気を集めるが、扇動者についていってしまえば待っているのは破滅だ。その向こうに愛の世界はない。

本来善良な隣人である私を排除する金井美彦や佐分利正彦は顕著な失敗例と言えよう。イエスの教えを無にする存在である。教会員は彼らに悔い改めを促せ。

今晩から、しばらく欧州出張のため時差の関係もあり砧教会の礼拝には恐らくオンラインでも参加できないが、遠いところにいても金井美彦の魂が救われることを祈り、砧教会の正常化を祈り続ける。金井美彦をそそのかした佐分利正彦に対しては、容易に祈りに加えることはできないのが正直な気持ちである。そんな私を醜いと思うが、迫害されているものは声を上げない限り、信頼を取り戻すことは叶わない。

※画像は大昔にロシア軍によって破壊されたエストニアの修道院跡。欧州に行くと多くの廃教会があることに気づく。砧教会には教会を守ると言い募る役員もいたが、保身に走る人物の地位を守ることは教会を守ることではない。真実に忠実であることなくして未来はない。