2014年11月29日土曜日 18:40 エストニア初訪問から約9年

私が、始めてエストニアを訪問したのは2014年11月29日の19時前だった。真っ暗だったので自分の記憶では夜遅くについたように思っていたが、遅い時間ではなかった。ヘルシンキから船でD-Terminalについて降り立ったら、雪が降っていて、寒かった。今は、土地勘がついているので、どんな風に自分が動いてどの店に入ったのかもトレースできるが、当時は地球の歩き方だけが頼りだった。

次に行ったのは2018年。e-residentの申請を行っていたが、まだIDカードを受け取る前だった。旧市街の中に宿を取った。翌年、会社を立ち上げたのだが、登記前の9月には来年の夏は、タリンで過ごすというブログを書いている。もちろん、まだコロナのかけらも感じられない頃だった。結局その2020年は訪問を諦めることになったので、当初の計画は大きく狂った。

それでも、意を決して2021年の11月には再びタリンを訪問した。その時以来3年間D-Terminalそばのホテルを定宿にしている。2014年の頃よりずっとターミナルも街もきれいになったし、今も都市開発(土建工事)は盛んで、トラムのルートもどんどん変わるし、新しい線路が引かれたりしている。

今日ちょっと回り道をしていたら、2021年にコロナのPCR検査をした駐車場を通って、2年前のことを思い出した。

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街のあちこちにモバイル検査場が設置されていて、この場所が近かったのである。Europark12にあると書かれていたが、こんな検査場など予想もできず、街の人に聞いてやっとEuroparkが駐車場であることに気がついたのを思い出す。もう1年以上が経過していたとはいえ、まだ人との接触がためらわれる時期だったので質問するのにも気を使っていて難儀した。2年後の今2023年11月には多分数百人に一人くらいの割合でしかマスクをしている人はいない。昨年は、1から2割程度だったので本当に変わったと思う。観光客も増え、街の活気は2019年よりあるのではないかと感じる。

今日の19時前のD-Terminal。9年前と同じく、今日も真っ暗である。

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すっかりなれた。2021年以降の訪問で、だんだんリズムができてきて、朝開ける前にオフィス(コワーキングスペース)に出て、日のある間に散歩や観光を入れ、戻ってきてからもう一度仕事をする習慣になった。9時5時で働いていたら、一度も陽の光を浴びないのだ。そんな暮らしは体調に影響する。もちろん、夏は逆に日が長い。こちらの人は夏は仕事をしない人が多いと聞く。自然環境にあわせて自分のライフスタイルを確立していくのだ。そういう暮らしを体験してみると、シエスタも馬鹿にできないことが分かるし、日本人は勤勉というのも眉唾であることがよく分かる。自分の足で歩き、自分の目で見ないとわからないことはあるし、長期滞在をしないとわからないこと、住んでみないとわからないことはあるのだ。

大分前から、社会福祉先進国で平和な感じがする北欧に憧れていたが、もともとは相当戦闘的な人たちだし、激烈な少子化も経験して、色々あって今があることにも気がつくことができるようになった。結局、まだ殺し合いの果に達観しない限り未来は開けないのだろう。

当地でも、大半の仕事は日本向けだが、何とか、ここに溶け込んで第3の祖国にしたいと願っている。

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