MAARJAMÄE PALACE

もうちょっとエストニアの近代史を学びたくて、歴史博物館を兼ねるMAARJAMÄE PALACEを訪問した。かなり充実した展示で、入場料10ユーロは安いくらいだと感じた。

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冒頭の画像ではバルト関の化粧廻しを選んだが、日本短刀も展示されていた。

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日露戦争時にロシアの徴兵でエストニアの人が東方で日本軍と戦っていた話だった。その後1918年に独立を宣言し達成。まあ、自分たちに無関係の戦争で遠い東方に送られたらたまったものではない。しかし、第二次世界大戦で再び独立を失い、1991年に再独立を果たしている。その間も相当苦労の歴史があり、再独立後まだ32年、当然私と年齢が近い人達は再独立のときは大きく関わっている。エストニア語話者とロシア語話者でも意見の違いはあり、ロシア語話者の中には再独立を良かったと考えていてもエストニア語の強制を圧迫と考える人もいる。教育分野で国際競争力を獲得することにすごく熱心だ。誇り高いが謙虚で意識は追う側だ。再独立の武力によらない闘争は、まだ遠い過去の話ではないし、ウクライナの真の独立を望む姿勢も強い。実際、今朝のロシア大使館前はこんな景色だった。

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博物館では英語の動画を含めてかなり丁寧に歴史の説明があり、自決権を大切にしていることがよく伝わってくる。コーナーごとに6分程度のビデオがあるので見て回るにはかなり時間がかかる。私は、せいぜい長居して60分だろうと思って行ったのだが、滞在は90分を超えてしまった。

それでもやがて代は変わり歴史の記憶は薄れるだろう。なんとかして、歴史を残そう、次世代に伝えようとする思いが伝わってくる。もちろん、エストニアの人たちの中でも歴史観に差はあるだろうが、まずは残さなければ何ともならない。

日本では、平和ボケという言葉を耳にするが、右派だけではなく左派も平和ボケを意識する必要があると思わされた。自由を守るということは決して簡単なことではない。自由の敵は内にも外にも存在するのだ。

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