How Can a Coworking Space Foster A Sense of Community and Normalcy in Wartime Ukraine? Lessons from Creative Statesと言う記事を読んだ。戦時下でのコワーキングスペースの運営について書かれていて、機械翻訳で十分読めるので一読をお奨めしたい。
キーウの当該コワーキングスペースは戦火を免れ、何とかネットや水、シャワーや食料を調達し、復活以上の成果を上げているように見える。前半で、コミュニティは何かについて最高を促していて、People + Space + Activities / Topicsという表現が使われている。人々とスペースと業務あるいは課題とでも捉えればよいのだと思う。平時であればActivities・日常業務の要素が大半を占めるだろうが、非常時はTopics・生き残りの重要性が増し、コミュニティが強固になったように読める。助け合わなければ、生活の継続性が損なわれてしまうから、助け合う空間としてのコワーキングスペースが存在した。そして、そこで形成されたコミュニティは時間が経過しても消えてしまうことはないだろう。
コミュニティが一定の地域(村、町、地方など)において人々に共通する諸特徴(風習、伝統、言葉遣いなど)により統合された包括的な共同生活の領域であるのに対して、アソシエーションはコミュニティを基礎としてある共同の利害や諸関心を追求し、一定の目的を達成するために形成される社会生活の組織体である。
と書かれている。
コワーキングスペースのコミュニティはコワーキングスペースに集う人々で、相互に尊重し合う(居心地の良さを守る)という規範を持つものと考えれば良いだろう。しかし、事件が起きるとアソシエーションに昇華することがある。ベルリンの壁が崩れる前後には、キリスト教会に集まる人が急増したという過去もあり、位相が日々変化するものなのだと思う。
アソシエーション・協会を法人化する時には、明確にTopicsを掲げる必要がある。法人化する場合は何を目指す結社かが明確されなければいけない。コミュニティとアソシエーションは相反するものではない。置かれている環境で変化する部分はある。困っている人が結集すると力をもつことがある。あるべき論では人は動かないが、機が熟せば動き始める。
キーウの場合、コミュニティマネジャーの存在は大きかっただろう。奇跡は起きるものだ。
何度も奇跡を起こすような人もいるし、一発屋もいる。何が起きるかはわからない。挑戦する人の大半は失敗する。しかし、挑戦者がいなかえれば時代は動かない。