プリズン・サークル

noteで「坂上 香『プリズン・サークル』」を見て、図書館で借りて読んだ。

https://www.iwanami.co.jp/book/b600988.html

paxi氏は対話による更生を目指す刑務所の話と書いている。言葉としての厚生を引いてみると、「人々の生活を健康で豊かなものにすること」とあった。TC(Therapeutic Community)ユニットの話しが興味深い。P236で

僕はこれをやってないけど、調書にやったって書かれているっていう部分がやっぱ何ヶ所かあって、そこは、やっていない見としては、「やってない」ってちゃんと言いたいっていうことを、弁護士さんに伝えたんですよ。そしたら弁護士さんが「上原さん、聞いて下さい。裁判員裁判っていうのは、一般の人が参加するんですよよね。それは理解してますか?」「はい、理解してます」「で、たとえばですよ。被害者の人が、あなたに拳で殴られたって言って、あなたは平手で殴ったって言いますよね。どっち信じると思いますか、一般の人は」って聞かされた時に、「あ、そういうことね。あ、なるほどね」みたいな

 という記述があって、事実を明らかにするよりやり過ごすことを選択した経験が書かれている。

話しても無駄と考えてしまうと、結果に焦点を当てることになり、人間関係は崩れてしまう。

この書籍では、日本の刑務所でも対話による人間性の回復、社会復帰を促進する動きの素晴らしさを書いていて、統計的にも再犯率の低下が見受けられるようだ。Therapeutic Communityの訳語には治療共同体がストレートで、麻薬中毒からの回復に支え合う関係を構築する方策としてのイメージが強い。治療という言葉への違和感から回復共同体という訳をあてる場合もあるようだ。

その時何が起きていたのか、それぞれの当事者の内面でどういう像を結んでいたのかは、本人でもきちんと向かい合わないと明らかになってこない。TCプログラムの中で、他者からの視点や、発話努力での振り返りなどで心の事実に向かい合えるようになっていくさまが伝わってくる。相当にしんどい作業だが、自然発生的なコミュニティでなくてもプロセスを踏めばかなり強固なコミュニティが形成可能なことがわかる。

SNSで知らない意見の違う人の発言に接する機会が増え、論破すること、勝ち負けに強く拘る人が少なくないことを知った。勝ち負けという結果に焦点を当てると、徒党を組み力に頼るようになる。対立の構造は議論の中身の質は低下してしまう。対立構造は避けられないとしても、多数派工作に走り始めれば排除のロジックが現れる。

ちなみに受刑者はマイノリティ側になり、孤立無援となるから事実も事実として他者から受け入れられる可能性は低い。TCプログラムはコミュニティへの所属意識、居場所を得て、自分に向かい合ってやり過ごすだけでなくよりよい未来を考えることができるようにしている。もちろん、100%効果が出るわけではないが、一定の効果があるのは間違いない。一方で、短期的なコストは小さくなく、効率的に見える懲罰型刑務所への回帰を目指す管理者人事が起きれば運動は力を失う。書籍でも、その刑務所でのTCプログラムは時間を経て輝きを失っているように書かれている。

やってはいけないことをやった人であっても人であることは変わらない。繰り返すことのないようにできたら良いわけだが、それを隔離や排除で実現するか、包摂で実現するかは社会の選択でもある。私は、多少のリスクを許容して包摂の方向で進める方が良いと思う。マジョリティ側の努力も必須だし、マイノリティ側の努力も必要になる。隠し事が少なくて済む方が長期的には有利になると思う。

私自身は、人付き合いは不得意で度々失敗する。不愉快な思いをさせてしまうこともあるし、排斥されたと感じさせてしまうこともある。良いトレーニングプログラムがあれば参加したいと思う。

刑務所での話しには留まらない話しだと感じたのであった。

feedback
こちらに記入いただいた内容は執筆者のみに送られます。内容によっては、執筆者からメールにて連絡させていただきます。