砧教会が新たな組織決定をした

2024年6月9日の定例役員会の議事録で

萩原氏からの要望について:現役員会として2020年6月7日の問題について蒸し返しはしない。和解条項の遵守を求め、2023年2月14日の松浦弁護士から萩原氏への書状も信徒に開示。

とあった。公式に議事結果を開示した点に感謝したい。ただ、新たな証拠が提示されているのにも関わらず事実確認は行わないという組織意思を決定したわけだから、問題を闇に葬ることにしたというのと同義である。現役員会は牧師の隠蔽工作に加担したことになる。決議に対して異論があったかどうかは記録されていないのでわからないが、多数は真実の追求より体制の防衛を重視したということだ。教会運営として腐敗状態にあるのは明らかだ。代表の金井美彦は自己保身で事実をごまかし続けている道を修正することができない状態にあるということで、牧師不適格としか言いようがないだろう。そもそも裁判の被告は金井、佐分利であって、砧教会でも砧教会役員会でもない。松浦弁護士からの書状の位置づけは怪しいものである。教会として出したとすれば、それは金井美彦が自己保身のために教会を私物化したと言えるのではないだろうか。ずっと彼のためにも祈りを捧げてきたが、もう救われないのではないかという思いが脳裏をよぎった。

ちなみに、今日の出エジプト記32章の説教は興味深かった。信仰的なメッセージはゼロに近いと思ったが、28節の「レビの子らは、モーセの命じたとおりに行った。その日、民のうちで倒れた者はおよそ三千人であった。」への言及はおもしろい。時代を考えれば、粛清でもしないとコミュニティの維持ができない状態だったのだろうが、モーセはかなり乱暴なリーダーだったということになる。金井氏は宮清めのイエスとの共通性に言及していたが、私にはその視点はなかった。イエスは神に代わってお仕置きする行動は取っていないと思う。しかし、不正義に対する怒りはあった。

砧教会は組織的に事実隠蔽を行う決断をした。有り体に言えば、腐ったのである。どこぞの政権、政党のように臭いものには蓋をしてなかったことにしよう、時間が経てば大勢は忘却する、権力が全てだということだ。関係者は自分は善良だと信じているのかも知れないが、はっきり言えば、悪魔に心を売ったとしか言いようがない。

私にとって腐った集団に残るのはとても不愉快だし、教会コミュニティからすれば私の存在は人にもよるが不愉快だろう。だから、出るという選択もあるし、「道をまっすぐにせよ」と発信し続けるという選択肢もある。前回、教会を去るという判断したことは後で後悔した。砧教会は自分に取って小学校の頃からの故郷である。恐らく捨て去ることはできない。金井美彦が独裁者の罠から目覚めることを今でも期待している。腐ったままで終わって欲しくない。佐分利正彦は命あるうちに罪を精算したほうが良いと思う。晩節を汚すのは残念なことだ。

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