今日、教会の説教でマリアの夫ヨセフの話が出た。
事前にマタイ伝の聖書箇所をbiblehubにある解説で読んでいたら、マリアについて「彼女の両親についての言及が一切ないことから、おそらくヨセフの保護下にあった孤児であったと考えられる」(Google翻訳)と書かれているのに気がついた。
Wikipediaでナザレのヨセフを引いてみると「マリアとヨセフの婚約は、エルサレムの大司祭の命によるものである」と書いてあった。孤児として保護されていたマリアが妊娠し、その後始末をヨセフに命じたというようにも読める。邪推すれば、洗礼者ヨハネの父ザカリアがAbuseしたという可能性も感じられる。
英語版のWikipediaではかなり長文でヨセフを記述していて、大工というより高度技術者だったのではないかという可能性に言及している。いずれにしても、ヨセフは前妻と死別し、後妻としてマリアを迎えたのは確からしい。カナの婚礼で出てこないことなどを考えると、イエスの公生涯の時期には既に死去していた可能性は高いと思う。
現実には人間社会はドロドロしたものに満ちている。ただただきれいに生きられた人などどこにもいないだろう。ヨセフの人生も同じだろうと思う。一方で、教会はそのドロドロしている親の人生はイエスの権威を毀損すると考えたのではないかと思う。早い時期にキリスト教に入信した人は、当然イエスの実際を知りたがっただろう。どういう父母の子供で、どんな子供時代を過ごし、どんな生涯を走り抜け、磔刑と復活がどうだったのかを調べようとしたと思う。マルコ伝では触れられていないが、福音書記者は正史を書けというプレッシャーがあっただろう。ルカ伝には別の正史が書かれている。
どんな人間模様があったのかはわからないが、イエスはイエスでどんな親の元に生まれたか、処女降臨だったのかは私は本質的だとは思わない。しかし、イエスは本物だった。
※画像はSaint Joseph with the Infant Jesus by Guido Reni, c 1635