マタイ伝2章の生誕の記述に占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来てという記述がある。クリスマスで取り上げられる記事で、不思議な話として記憶に残っている。イエスすげー的な受け止めが自然なのではないかと思う。
果たして史実があったかどうかはわからないが、私は東方はバビロンで占星術の学者は、暦と気象を専門とする技術官僚だっただとうと思う。種植えの時期や回収の時期の予想、災害の予想を行うことで、都市機能の維持に貢献していたと思うが、統治者に遣えるもので出張には承認を必要としていただろうと思う。だから、もし史実として学者たちの訪問があったとしたら、そこに統治者の意図があったと考えるのが適切だろう。占星術で、新しい有力な統治者がイスラエルに生まれるという推定がなされたとしたら、統治者は外交的施策の必要性を感じたのではないだろうか。そこで、学者たちに財宝を持たせて、イスラエルの王家を訪問させた。しかし、王家には該当する新国王候補は存在せず、イスラエルの学者は生まれるとしたらベツレヘムと答えた。学者等にとっては空振りである。しかし、手ぶらで帰るわけにいかないからベツレヘムに行って、イエスとマリアに会って義務は果たした。もちろん、為政者が政治的に動くことはわかっているから、王家には報告にいかない。さっさとバビロンに帰って、おそらくイスラエル・ユダヤに内紛が起こり、当面の脅威になることはないと学者の派遣者に報告しただろう。やがてユダヤ戦争でイスラエルは独立を完全に失う。
エジプトに逃げよと言ったのもこの学者等だったのではないか。バビロンは既に国際競争力を失っていたとは言え、蓄積された知略力は残っていた。彼らの国益にとっては、反乱候補者の保護は望ましい施策だったと考えてよいだろう。
聖書にこの記載があることを不思議に思う。不正確さはあると思うが、案外事実に基づく記述だったのかも知れない。
この話が皮肉だと思うのは、誰もが力に頼ろうとしてイエスを見出したが、イエスは力に頼る価値観を根底から否定し、生きている者一人ひとりに生きる価値と権利があると説く力を否定する人だったところにある。
トランプは神のご加護などとうそぶいているが、力に頼るもの、頼られようとする者に流されてはいけない。しかし、賢く振る舞わなければ生き残れない現実も無視できない。