マタイ伝2章で、「しかし、アルケラオが父ヘロデの跡を継いでユダヤを支配していると聞き、…ガリラヤ地方に引きこもり、ナザレという町に行って住んだ」という記述がある。このアルケラオはヘロデ・アルケラオスのことだろう。冒頭画像のエルサレムを含む緑色の部分を継承したが短命政権だった。
ヘロデ大王が死んだのはBC4年。アルケラオスの退位は、AD6年だから、生誕物語が史実であればイエスの誕生はBC4年より前、ヨセフ、マリア、イエスはAD6年より前にエジプトから戻ってナザレに住んだことになる。
ナザレを含むガリラヤ地方はヘロデ・アンティパスの領域。アンティパスはアルケラオスの兄で、イエスの死刑に関わったヘロデである。洗礼者ヨハネの首を切らせたヘロデでもある。
ヘロデ大王は一定の自治を回復した王だが、ローマの属国として半独立を回復した存在。人脈で地位を保全した人物に見える。アルケラオはその性質を引き継いでいたようで兄を飛び越えて中心部を承継したが、どうやらアンティパスも相当したたかだったようだ。力に頼る政権は力に溺れて沈む。所謂盛者必衰の理である。
ネタニヤフを見るまでもなく2000年経過してもイスラエルは力に頼る姿勢から変われていないように思う。保守は亡国だ。
※画像はWikipediaのヘロデ朝のページで利用されているもの(CC BY-SA 3.0)