新生活204週目 - 続々「イエスは命のパン」

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今週も福音のヒントの箇所から学ぶ。今日の箇所は「年間第20主日 (2024/8/18 ヨハネ6章51-58節)」。3年前は8月15日で聖母の被昇天の祭日で箇所が異なる。並行箇所はない。

福音朗読 ヨハネ6・51-58

 51〔そのとき、イエスはユダヤ人たちに言われた。〕「わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」
 52それで、ユダヤ人たちは、「どうしてこの人は自分の肉を我々に食べさせることができるのか」と、互いに激しく議論し始めた。53イエスは言われた。「はっきり言っておく。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。54わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。55わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物だからである。56わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる。57生きておられる父がわたしをお遣わしになり、またわたしが父によって生きるように、わたしを食べる者もわたしによって生きる。58これは天から降って来たパンである。先祖が食べたのに死んでしまったようなものとは違う。このパンを食べる者は永遠に生きる。」

福音のヒントで「ヨハネ福音書は最後の晩さんの席での聖体制定を伝えていません」とあるように「イエスは命のパン」の箇所で聖餐について記していると考えてよいだろう。

あらためて聖餐について考えてみると、Wikipediaにその起源と思われる記述があった。

初代教会では「アガペーの食事」と呼ばれる儀式が行われていた。それはパンとワインを分け合って、キリストの最後の食事を思い起こす典礼儀式であった(「ἀγάπη」というのはギリシア語で愛を意味する言葉の一つで、「無私の愛」というニュアンスを含んでいる)。「アガペーの食事」はそれだけでは終わらず、実際に信徒たちが食事を持ち寄って共同で会食を行うことまで含まれていた。ただ、参加者の数が増えていくにつれ、全員に食事が行き届かないことや、一部の人しか食事ができないといった不都合が起こるようになる。パウロは一コリント11:20-22でこのような事態を批判している。実際の会食を伴う儀式は聖餐が典礼儀式として整備されていく中で徐々に廃れ、8世紀にはほとんど行われなくなったと考えられている。

最後の晩餐を記念して食事をしていたのは恐らく事実だろう。その記念食事会の簡潔化、純化を追求した結果、その時のイエスが取り分けたパンとワインが本質だと考えるに至ったのだろう。パウロは生前からの弟子ではないので、当時を思い出して習うのではなく含意を重視したと思われる。その客観的な分析に基づく指摘を行っていて自然とその方向に収斂していったのではないかと思う。

聖餐に関する部分を共観福音書を対比しながら読んでいると、共観福音書では体(σῶμά (sōma))という単語が使われているのに対してヨハネ伝では肉(σάρκα (sarka))という単語が使われている。ルカ伝では「わたしの記念としてこのように行いなさい」という記述があるが、マタイ伝、マルコ伝にはその記述はない。日本基督教団の口語式文ではコリント前書11章を制定語としていて「わたしの記念として、このように行いなさい」と書かれている。コリント前書はパウロ書簡でパウロ自身は最後の晩餐に同席していない。パウロは「わたし自身、主から受けたものです。すなわち、主イエスは、引き渡される夜、パンを取り、…」と書いているので、パウロは復活、昇天後のイエスから聖餐を記念して行えと指示されたのだろうか。コリントの教会は50年頃にパウロによって設立されたと推定されている。あるいはコリントの教会の会員がペトロの教会の聖餐の儀式を知っていて、それを継承したのだろうか。

食事を共にするコミュニティは、内側と外側を作る。当初は同窓会のようなものでも、やがて不公平が不満の種になるし、組織が大きくなれば参加の可否についての決定権が閻魔大王的な権力に変わる。政治的な影響力を持つようになると、強烈な権力争いが起きる。オリジナルはカトリックの聖座と考えてよいだろうが、キリスト教国に対しても支配権はない。当然、権力者から見ると煙たい存在になるから、複数の頂点が林立することになる。

コリント前書のパウロの言及は、コミュニティの最小構成要素の一つとして、イエスがパンとワインの聖餐を制定したという解釈で、ルカ伝はほぼそれをそのまま採用したのだろう。いずれにしても、聖餐の規定はコミュニティの掟として政治化した。聖餐式を執り行う権威は誰にあるのかについては新約聖書には書かれていないと思う。律法の書ではないからだ。逆に言えば、カトリックであれ、プロテスタントであれ、聖餐は権力の源泉でもあり、品質維持のメカニズムでもある。プロテスタントの正教師試験、按手礼は聖餐式等の執行権を認証するシステムである。しかし、その頂点は聖座には結びついていない。聖座に結びついていなくてもイエスの聖餐にならっているので有効という考え方に立つ。聖座にある者あるいはその代理人(中間管理職)が腐ったと考える人にとっては、聖座は意味を持たなくなる。

ヨハネ伝はその執筆者の属するコミュニティの文書と考えるのが適当で、黙示録と同一執筆者だと考えると、現在のトルコのエフェソスのあたりに分散していたと考えられる。パウロの活動範囲の一つと言える。コリント前書はエフェソスで書かれたと言われているので、聖餐の儀式についてはヨハネ伝のコミュニティでも知られていただろう。それでも、パウロの「わたしの記念として、このように行いなさい」という記述はヨハネ伝にはない。「はっきり言っておく。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。」という記述は非常にハードルが高く排他的だ。排他性を高めれば結束力も高まる。愛国保守と同質なもので、他宗教排斥や十字軍的な活動を導いてしまう。それでも迷えるものに対しては魅力的な教えに見える。教会は、人間のコミュニティでもあるから、その有効性と危険性を良く考えなければ、イエスから離れてしまうことになる。そして保身のためにその罠に堕ちてしまった聖職者は少なくない。教会というコミュニティに属していれば安泰なわけではなく、自分の目と自分の心で、真実を求め続けるしか無いのである。

「はっきり言っておく。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。」の含意は、イエスを自分の身体に取り込めと解釈するしかなさそうである。しかし、恐らくイエスはその通りの発言はしていないのではないかと思われる。その上で、この箇所をどう読めばよいのだろうか。福音のヒント(4)では、「聖体をいただくことはイエスと結ばれ、イエスによって生きることそのものを意味している、ということを強調していると言える」とまとめているが、私にも同意可能な意見ではあるものの無理筋だと思う。ヨハネ伝を読み込むと、その扇動力の大きさに思い至るが、その向こうに真理が垣間見えると感じることもある。パウロ書簡のエフェソの信徒への手紙の2章には、キリストにおいて一つとなるという見出しがついた部分がある。ヨハネ伝のコミュニティはひょっとしたらエペソ書を受け取った人たちの後継者かも知れない。史実とは異なると思われる記述が多数含まれるのに新約聖書にヨハネ伝が収録されたことを考えるとそのコミュニティあるいはリーダーには相当政治力があったのだろう。今なおヨハネ伝の影響力は大きい。ただ、プロテスタントの制定語にはこの箇所ではなくパウロ書簡の言葉が用いられている。

※冒頭の写真はアガペーの食事の絵ではないかとされているもの。Wikimediaから引用させていただいた。