4月7日に緊急事態宣言が発出されて今日で2ヶ月になった。既に解除されているが、東京ではまた陽性判明者が増えてきていて、気味の悪い状況にある。一旦、振り返っておこうと思う。
私がCOVID-19を意識したのは、2月2日。Facebookで日経の記事を引用している。緊急事態宣言の2ヶ月前だ。2月7日にNYタイムズの告発医師の記事を引用しているのが2つ目。2月12日頃から、入国規制の是非をきっかけに連投が始まっている。2月17日に岩田氏の楽園はこちら側の引用が始まり、2月19日に「ダイヤモンド・プリンセスはCOVID-19製造機 なぜ船に入って一日で追い出されたのか(岩田健太郎先生の動画から文字起こし)」という衝撃的なビデオ(今はない)を見て、橋本岳を心底から軽蔑するに至っている。彼を糾弾する投稿内容をたしなめられたのはその少し後だったかと思うが、今も、私は橋本岳は許せないという思いから自由になれていない。未熟である。
2月20日に風邪をひいた記事を書いている。COVID-19が話題として出ていて、反応もあった。この前の2月18日の水泳が、現時点で最後のプールで3.1km泳いでいた。2月25日には「新型コロナウイルス感染症対策の基本方針」が発表された。美しくないPDFだが、今読んでも中々立派な内容だと思う。ところどころ政治的な毒が埋め込まれている感はあるが、振り返れば、良くあの時期にその内容を書けたと思う。ただ、数字がないのが残念だと思った。
その直後、2月27日に安倍政権が休校要請を発信したのを激しく糾弾した。その上、2月29日に「東京五輪へ万全の準備」とたわけたメッセージを出していることに言及している。
3月2日にPCR検査の拡大に反対の意見を述べている。私は、科学的合理性を過度に尊重しているかも知れないが、検査すれば良いという考え方には今も賛同できない。
3月に入るとほぼ9割がCOVID-19関連になっていた。
日本の3月12日にWHOからパンデミック宣言が出て、もう一つスイッチが入った。自分の所属する組織が閉鎖基準を決めたのは、その10日後の3月22日だ。その日の東京の累積数は139人(現在の振り返り値)だ。東京の今日を含む1週間の値より小さい。その後、4月7日に至るまでに1,000人以上増え、ピークでは1日200人を超えた。
スパイクは別にして、4月10日ころのピークから5月23日の2名という最近の最小値に至るまでが概ね1.5ヶ月。他国の例に比べるとかなり早く収束している。幸いなことだと思う。しかし、治療法が開発されたわけではなく、接触アプリもできていない。実際は何かが変わったわけでもない。
私自身、本当につまらない思いをしている。飲み友達ともサシ飲みしたいし、居心地の良いお店にも足を運びたい。教会にも行きたい。しかし、3月末の時点と現在とではほとんど現実は変わっていないのだ。いくら自粛に疲れたとしても、もう少し、命を守る方向で我慢を続けようと思う。孤独だ。