機会平等と結果平等あるいは死刑制度

競争に参加するのは、楽なことではない。しかし、競争に勝てば満足が得られるし、ひょっとすると金も権力も手に入れるかも知れない。

機会の平等と結果の平等は恐らく振り子のように行ったり来たりするものだ。

競争は格差と双子だから、格差が開きすぎれば耐えられない人の数が増える。その数が増えすぎれば、結果の平等を求めるようになる。ベースラインを上げる方向に動き始めると格差は減り、環境に耐えられない人の数は減る。同時に、必ず制度に巣食う人(タダ乗りの人)も現れる。そういう正直者がバカを見る世界は、やはり耐え難いと考える人が増える。巣食う人に厳罰をという声が高まってくる。そしてこのブロックの最初に戻る。

ただ、サイクルが回った次は前と同じではない。ベースラインが上がった上での新たなサイクルになることもあるし、下がって始まるサイクルもあるだろう。しかし、過去2,000年を振り返ると、私は確実に上がってきていると思う。

私は、COVID-19は神の恵みだと思っている。己の欲を優先するか(機会の平等を求めるか)、万人の救いを求めるか(結果の平等を求めるか)がプレッシャーの元に問われている。一人ひとり置かれている状況は違うから、共通の正解はないのだと思う。