E-Residency joins campaign against IBAN discriminationという記事を読んでIBAN discriminationという言葉を初めて知った。一言でまとめれば、どこの国の口座を使うかで差別されてはいけないという時代が到来したということだ。
IBANはISO標準の銀行口座コードで、日本にいると意識することは殆どない。せいぜいSWIFTコードが求められるが、それすら意識することは稀だろう。
SWIFTとIBANの決定的な違いは、IBANは口座そのものを表現するコードであるのに対して、SWIFTは金融機関を表現するコードとなっているところにある。
私はWISEを使っているので、BE(ベルギー)で始まるIBANを持っている。E-Residentとして、エストニアに持っている企業の口座はLT(リトアニア)とFI(フィンランド)の2つでEE(エストニア)のIBANは持っていない。エストニアでは、それでも何も問題は起きない。
ふと、ISOになっているのに、なぜ日本ではIBANを使わないのか、アメリカではIBANを使わないのかと不思議に思うが、恐らく国のグリップが強いからなのだろう。EUROは既に国の通貨ではないから、EUROを置いておける口座の相互運用をSEPAで行っている。EUROではないスウェーデンも入っているし、EUを出たUKも入っている。
一方で、金融機関は属する国があり、国からすれば、あるいは金融機関からすると金融機関の競争力が落ちれば、他の国の金融機関に預金や貸付が移ってしまう。競争に負けないために自国の口座を差別的に有利に扱うという意図はどううしても発生してしまうだろう。
個人から見ると、安全であれば便利でうまくお金を回してくれる金融機関を自由に選びたい。正直に言って、あまり日本の銀行には魅力を感じないのである。
金(カネ)は情報に過ぎない。デジタル化が進めば、情報の流動性は高まるのは必定。専制的な国家は流動性を削ごうとするだろうが、恐らく無駄なあがきとなるだろう。当然IBAN discriminationは犯罪と認識されるようになる。口座情報がIBANに一本化される日が来るかは分からないが、かなり可能性は高いのではないかと思う。一方、誰に自国の口座情報を許すかという個人の権利の問題でもあり、国のあり方に大きく影響する。私の場合は、米国赴任時に米国で銀行口座を解説して、一定の預金を行った。帰国して今は居住権はないが、口座は有効である。口座があるかないかでやれることは大きく変わる。その権利はたどれば米国政府が私に与えているものである。今、情報化によって国のあり方が大きく変わりつつあるのだと思っている。
一般に、経済的に大きな国は既存制度が足かせになって情報化が遅れる傾向にある。よほど頑張らないとアメリカも日本も転落が待っていると思う。保障を増大させながら、自由競争を拡大していくのが自然な道だと思っている。中国とて、人口の過半を占めるわけではなく、オープンな環境を構築していく以外の道はないだろう。一歩間違えれば、皆が不幸になる。どうすれば、対立を越えることができるのか知りたい。