今回のエストニア滞在の振り返りとe-residencyあれこれ

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エストニアでUbiquitous Lifestyle Laboratory OÜを設立したのは、2019年11月のことだった。もともとユビキタスライフスタイル研究所を設立した時に掲げたビジョンは「誰もが場所にしばられずに協働できる社会の実現」で、ロケーションフリーの追求で社会福祉に貢献したいと考えてのことだった。Estoniaのe-residency制度は、居住権を伴わない市民権で国籍の異なる人に創業権を提供している。ITやコンサルティングの仕事はリモートでも実施可能なので、日本の会社でやっている内容をエストニアの会社にほとんどすべて移すことも可能なのではないかと考えて挑戦することにした。

ただ、自分は人間だから生活する場所、執務する場所は当然必要となる。e-residencyで設立した会社で稼ぎ、自分自身はどこにいても良いというロケーションフリーの未来を目指して実践しようという試みである。

会社って何だろうということを改めて考えることにもなる。契約・約束に基づいて何らかの付加価値を顧客に提供する主体で、代金支払い機能、受け取り機能が必要になる。e-residency制度では、欧州のIBANのある口座なら資本金を置き、入出金の口座にできる。e-residencyプログラムに対応している金融サービスとして契約したのはリトアニアのPayseraで、登記から資本金の振り込みまで一切エストニアに行くこと無く完全リモートで会社の立ち上げはできた。

ただ、会社には登記住所が必要で、エストニアにコンタクトパーソンが必要になる。これもSetgoという会社のサービスを利用してリモートで問題なくできたのだが、何にせよ住所は必要となるのだ。納税地は必要だと思うが、本当は住所は必要ないのではないかと思っている。他にもネットサービスですら国に縛られてしまうことは多い。個人向けのサービスを提供しようと思ったらPayPalが便利だが、エストニアでPaypalをあげようと思うとエストニアの電話番号(SMS)が必要になる。銀行口座と結びつけようと思うとEEで始まるIBANが必要となり、リトアニアのPayseraだとLTだから連動させることができない。

もう一度、会社って何だろうということを考えると、契約書を結ぶ主体ではあるのだが、その信用は金融機関が担保していることに気がつく。一方、金融機関は信用を与えるに足るか評価しなければいけない。まあ、気がついてしまえばそういうことなのだが、実際に手続きを進めてみないと中々わからない。苦労はあるけれど、やってみることで得られることは少なくない。

前置きは長くなったが、2019年の12月ころのトライアルで既に電話の契約は必要なことが分かっていたし、エストニアで起業するのであればエストニアでの取引の可能性を探るのは当然と考えていたので、1ヶ月程度エストニアに滞在して立ち上げ作業を実施しようと考えていたのである。当時は、新型コロナが猛威を奮うことなど予想もせず、2020年7月20日から1ヶ月アパートを借りる契約をしていた。細かい話だが、これはユビキタスライフスタイル研究所のサービス提供のための活動として日本の法人の出張として計画した。

2020年は何度も延期したが、結局断念することになった。ワクチン接種も終わり、秋口には移動の自由度も一部の国を除いてかなり改善したので、2021年11月14日出発で計画することにした。しかし、エストニアの感染状況が芳しくなかったため、改善傾向を見極めて21日の出発とした。

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実は、私は2020年4月以来父が亡くなった関係でどうしても必要だったケース以外はずっと公共交通機関を利用していなかった。だから、日暮里から京成で成田に向かったのは本当に久しぶりの電車だった。朝早いこともあり、人はほとんどいない。

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成田空港についたら、予想していたとは言え、人もいないし店も開いていない。実は、チェックインはやや難航した。事前に航空会社にも在日エストニア大使館に確認して、ワクチン接種済み証明書があり、事前にWebで届け出を行っておけば入国に問題がないことが分かっていたのでPCR検査を受けなかったのだが、チェックインカウンターでそれで良いかの確認に手間取ったのである。成田空港のPCR検査は日医大で、Webページを見ると検体採取は千駄木でもできるようにあったので、任意でやってもよいかと思っていたが、電話で確認したら、成田空港で取らなければいけないことがわかり時間的に間に合わないので見送ったのである。PCR検査の陰性レポートがあればもっとスムーズに進んだと思う。

ちなみに、エストニアの事前届出フォームは、以下のような入り口から始まる。

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エストニアのIDカードでのログインが可能になっているが、e-residentもそのIDでログインできる。

私は、smart-IDでログインしたら、氏名など基本情報は聞かれることはない。びっくりしたのは、確認メールにあった以下のメッセージである。さすがにCitizenship:    Estoniaは行き過ぎではないかと思うが、こちらから訂正するようなことでもないだろう。

Your personal details
First name:    TAKAYUKI
Surname:    HAGIHARA
Personal identification code:    36001130134
Citizenship:    Estonia
Gender:    Male
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出国後のターミナルもガラガラ。不思議な風景だった。

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搭乗ゲートもガラガラ。

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実際に登場してみたら、横一列に1名から2名程度の乗船率だったと思う。

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中継地のチューリッヒも比較的空いていた。実は、成田→ワルシャワ→タリンと飛ぶ予定だったが、3日前に成田→ワルシャワ便がキャンセルとなってしまい、一瞬もう今回の出張もキャンセルするしかないかと覚悟したが、コールセンターで粘ってみた所、スイス航空のチューリッヒ便、チューリッヒ→ワルシャワ→タリン当初便で飛べた。

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無事、荷物も届いていた。11月22日早朝2時前着。今回の忘れ物は爪切り。短い旅程なら直前に切っておけばいらないので、油断してしまった。自宅普段遣いのワイヤレスキーボードやマウスはこの荷物の中に入っている。Mac book proのキーボードとタッチパネルを使うより打鍵ミスが減る。

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エストニア、タリンに来るのは3回目。このヴィル門の向こう側が旧市街となる。観光の拠点の色彩は強いが、多くの大使館が旧市街にある。日本の大使館も旧市街の境界あたりでここからだと徒歩5分程度。

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コワーキングスペースWorklandの専有席を選定、ディスプレイを借りて設営を到着日11月22日の昼頃に完了。3週間で約2万5千円。カード式キーが貸与され、24時間入館できるので非常に便利。来客を迎えることもできる。テレフォンブースはいくつかあってWeb会議はそちらかオープンスペースでやるのだが、結構ブースの利用率は高く3週間の間に何度かはオープンスペースで日本との会議を実施した。日本との打ち合わせはほとんど15時スタートだったので、現地では8時。まだほかのメンバーが来ない時間なので問題は出なかったが、日本で19時とか21時の打ち合わせも何度もあったので、遅い打ち合わせの場合はオープンスペースになることがあった。一番近い人との距離も2mはあるし、ほとんど会話もないので飛沫も飛ばないとは思うが、同室の人達はマスクはしていなかったので最初はちょっと怖かった。私自身はコーヒーに口をつける時以外はずっとマスクをつけていた。

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まず携帯の契約に向かった。会社の住所で個人として契約。mobile-IDも申請できるかと思ったのだが、これは居住権がないとだめなことが判明。e-residentのIDでも携帯契約自身はOK。30分程度で契約終了。この後Worklandに戻って、SMS問題で契約が進まなかったのがPaypalが開通。ところが、Payseraの口座を自分の口座として定義することができないことが判明。その後、エストニアの銀行でe-residencyに理解があるとされるHLVで口座開設を試みるが、こちらはビジネス実態が証明できないため却下された。まあ、これは実態ができてから再申請ということになる。

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旧市街の一番高いところに展望ポイントが3箇所ある。Worklandからは徒歩で10分程度。何度見ても美しい景色である。運動を兼ねてほぼ毎日登った。

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展望台から降りてきて城壁の外側から撮影した写真。この下のあたりが自由広場、日本大使館のあたりとなる。

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コワーキングスペースWorklandの入っているビル。2階の一番右の窓のあたりが喫茶スペース、真ん中の明るいあたりがオープンスペース。私が割り当てられた部屋は302で逆サイド。

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今回は比較的安価だったのと、コロナ下だからアパートではなくてホテルにしようと考えフェリーターミナル向かいのホテルに宿泊。途中でアパートに切り替える予定にしていたが、移動が面倒なのと現物を見たら、そんなに魅力的ではなかったので、結局3週間連泊することとなった。実は、ホテルの部屋で仕事をしようと思うなら、安めのホテルのほうがたいてい満足感が高い。セッティングが事務机に近かったりして、くつろぎより機能性重視になっている事が多い。最近の欧州は、コワーキングスペース機能併設のホテルも増えていて、コワーキングヨーロッパでもよく耳にする話題だった。明らかにコロナ前とは時代は変わったと思う。

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予定していたアパートのキッチン。電子レンジがあるので、スーパーで買物をすると安くつく。ただ、階段がせまくて3階だったので今回は見送ることにした。アパートの家具が執務に適している感じが薄かったのもキャンセルした理由である。物件としてはロケーションも良く家族、観光優先ならかなり満足度は高そうだと思う。

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旧市街のハズレにはラーメン屋もある。今回は、3週間ラーメンも日本食も一度も食べなかった。米は一度だけリゾットを食べた程度。一番美味しかったと思ったのは、ロシア料理屋のボルシチ。

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最初の週末、11月28日にタルトゥを訪問。電車で2時間半程度。雪がしっかり積もっていた。駅と中心地はかなり離れている。大学を中心とするような街でタリンとは全く趣が違う。中心部までは徒歩だと15分以上かかる。ちなみにこの日タリンに戻ったらタリンもしっかり積もっていた。この週、オミクロン株が大問題となり、一時航空券の新規予約停止措置が発動された。往路便同様便のキャンセルが発生したら、もう日本には帰れないかも知れないとそのケースを想定した計画立案には時間を取られたし、場合によっては1週間前の便に振り替えてもらって早期帰国すべきかと考えもした。早期のPCR検査も実施した。結局新規予約停止措置はすぐ解除されたので、商談も残っているし予定通りもう一週の滞在を決めた。

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二回目の週末12月6日はナルヴァに遠征。タリンから電車で2時間半のロシア国境の街。この電車の鉄橋の下の川が国境となっていて左側はロシア。川が凍っているのが印象的。国境には対して緊張感は無く、感覚的にはエストニアが再び独立を失うような日が来るような懸念はなさそうだが、一度失った独立の記憶は消えないだろう。

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左右の城、左がエストニア、右がロシア。その間に橋があって両岸に管理設備がある。

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タリン旧市街のラエコヤ広場、クリスマスマーケットが立つ。

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雪下ろしは2人で行う。

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帰りの飛行機は、ワルシャワ→成田便が途中で故障ワルシャワ戻りとなった。ワルシャワに戻されてまだ本当に東京に飛べるかわからない状態でどう手続きすれば良いかかかりの人が説明しているシーン。私は、この時点で既に修正版のEチケットが届いていたので、もうほぼ大丈夫と安心していたけれど、みな不安そうな顔をしている。

この後、無事にアムステルダム経由で日本に帰ってこれたのだが、入国が大変だった。防疫観点から時間がかかる覚悟はしていたし、リスクを負って出た以上、病気を持ち帰りたくないと思っていたので覚悟は相当なものだったのだ。しかし、紙の束にくじけた。日本を出国して紙を扱ったのはPCR検査結果を日本政府に認めてもらうためにタリンの医療機関で作ってもらった書類だけ。後は、日本から持っていった紙のワクチン接種証明書だけだ。いつ、こんなにデジタル後進国に堕ちてしまったのかと気がついたらどっと疲れと怒りが湧き上がってきた。2014年にタリンに初めて行ったときには街のキオスクのおばちゃんはSIMが何かも理解していなかったのに、たった7年でデジタルに慣れていた。年寄りに配慮して紙を残すというような必要など実際にはまったくない。単に新陳代謝を遅らせているだけだと思った。

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現在自己隔離中のホテルからの景色。成田空港の滑走路が見えているが、離着陸の頻度は明らかに低い。15泊と長居になるので良さ目の宿を取ったが、執務環境としては残念ながら満足できない。気がつくと、日本に帰ってきたら時計が進まないのである。変化を嫌うと衰退が待っている。