テッサロニキ訪問を思い出した

今日の砧教会の礼拝の聖書箇所はテサロニケの信徒への手紙一の1章だった。AD50年頃に書かれたテッサロニキの伝道の話である。

テッサロニキには2018年11月に訪問した街だ。2013年にCoworking Europeに参加するようになってから、目的地以外2国訪問する習慣にしている。ヨーロッパの街を訪問すると、ローマの名残を色濃く感じる。それぞれの特徴はあるが、街々はつながっているのだ。ギリシャの街テッサロニキもヨーロッパを感じるのだが、ローマより前に栄えていたという気配が濃厚な街だ。道の作り、城壁や遺跡を見ると、大昔に大変な繁栄があったことが感じられる。

テッサロニキは陸路だとイスタンブール(コンスタンティノープル)からエーゲ海沿いにアテネに向かうローマ街道の途中となる。テッサロニキは港町で、エーゲ海を下って、地中海に出ると右に曲がればイタリア、左に曲がればイスラエルに向かえる位置にある。一方、海路でエーゲ海からイスタンブールを抜けると黒海となり、北上するとオデーサ、その右側はクリミア半島で、その向こうがアゾフ海となる。陸路のローマ街道は、黒海の西岸にも伸びているがオデーサまでは届いていない。東岸もあまり北には伸びていない。

現在のウクライナはローマの外の辺境の地だったのだと思う。ロシアはもっと遠いところである。

テサロニケの信徒への手紙の頃は、まだキリスト教がローマ国教になる392年よりは遥かに前の話で、ピカピカの新興宗教だった。どのくらいの勢いで信者が増えたのかは分からないが、テッサロニキにはどの程度の信者がいたのかは気になるところである。エルサレムからは2000km程度離れた地で、20年で定着し始めたとすると、年速100km程度のスピードがあったということになる。あるいは一気にジャンプして、ギリシャを攻めたという事かも知れない。ギリシャは科学技術面でも文化面でも先進的だったようなので、博愛の思想は一部の上流階級で新しい教えとして受け入れられたのかも知れない。

ギリシャの人々は自分達が実質的にローマの支配下に落ちたことに複雑な思いを持っていたのではないかと思う。

パウロの伝道はどこが響いたのだろうか。一つの仮説は、世界宗教性だろう。ユダヤ教の神は唯一神だが、イスラエル人の神でイスラエルの宗教だ。一方でパウロの説くキリスト教は、宗教としては民族の神、民族の宗教ではない。古代ギリシャも古代ローマも神格化が行われていて、この世の支配者と宗教が結びついていた。そうではなく、唯一神と血や身分によらずイエスを通して直接結びつくことができるという思想には相当なインパクトがあっただろう。キリスト教の教会に行けば、ギリシャ人、ローマ人の区別なく自分のできることをやって助け合うという革命的な教えが受けたのではないだろうか。ローマの繁栄を享受してもローマの支配は嬉しくない。ギリシャでの布教はキリスト教の拡大時に不可欠だったのかも知れない。

ギリシャには技術、文化の厚みがあっただろうから、当時の世界の中心であるローマとの行き来もあっただろうし、被支配の構造があったとしても中央への一定の影響を与えていただろう。ひょっとすると、2000年前のキリスト教の教会は、現代のアメリカのようなものだったのかも知れない。現実には強者の支配は揺るがないが、教会の建前は、万人の平等である。それが、良い効果を実績として出し、300年、10世代から20世代を経て、ローマを中心とする世界を塗り替えたと考えることもできる。

これは、辺境の地にある人にとっても良い知らせだ。同じ神を信じれば、平等が保証され知へのアクセスが可能になるなら極めて魅力的である。

例えば北欧に行くと、キリスト教の匂いは濃厚なのだが、ローマの匂いはしない。フランスではローマを強烈に感じるが、ドイツに行っても、ポーランドやバルト三国に行ってもローマは感じない。ミンスクでもキリスト教の匂いは濃厚なのだが、ローマは感じなかった。

冒頭の写真でテッサロニキの海に船が浮かんでいる。その船が、黒海に向かうものなのか、地中海に向かうものなのかは分からないが、世界はつながっている。

多分、キリスト教は今のウクライナやロシアの地にもそれなりの自由をもたらしたのだ。しかし、巨大化すれば権力構造も同時に生まれてしまう。小さな教会一つでも真理と自由を守ることは容易ではない。

2000年を経て学んだのは、おそらくキリスト教の教える理念は正しいが、キリスト教会だけでは社会を平等で平和な社会を作り上げることは困難だということだろう。しかし、行きつ戻りつはあっても良い方向に進んでいると思う。

ウクライナでも、他の地でも、身の回りでも、平和を望む。

アメリカがもたらす繁栄は嬉しいが、アメリカの支配は嬉しくない。アメリカを中国と言い換えてもロシアや日本と言い換えても成り立つ。今、世界は転機を迎えていると思う。