ラザロの復活は『新生活131週目 - 「ラザロの死〜イエスは復活と命〜イエス、涙を流す〜イエス、ラザロを生き返らせる」』で触れた。金井美彦氏は平和について意見を開陳し、平和は戦争が起きていない状況ではないと言っていた。同感である。言論の弾圧があればそれは平和ではない。そして、砧教会は、真実を求める声を弾圧し、私の現住賠餐会員の復帰を認めず排除しているわけだから、正に金井美彦氏は独裁者であり、砧教会は戦時にある。佐分利正彦氏を解任し、私の人権を回復しない限り平和が来ることはない。説教の内容には共感できる部分がほとんどだったが、金井美彦氏は自分の人間の外に置いている。自分が神と同等と位置づけているところが独裁者そのものと言える。自分は評価対象にならないという傲慢である。
ラザロの復活は事実としてあったのかという点について言及があった。かなり誤魔化してはいたが、彼は事実はなかったという立場に立っていると思われる。私は、多分、その事実はなかったと思っている。教会、教団の罪の結果の文章だろう。
今日は、平和聖日で聖餐式があった。佐分利正彦氏が私に配餐してきたのに、なぜ配餐するのかと問うと、離れていったので、なぜ配餐しないのかと問い、金井美彦氏は私には砧教会で全ての権利は剥奪されたと言った事実を金井美彦氏に問うたところ、彼は佐分利正彦氏に配餐するように促した。私が砧教会で聖餐式を守ったのは、2019年のクリスマス以来である。しかし、私の人権は侵害されたままであることには変わりない。
金井氏が宣言した砧教会での権利剥奪は何を意味するのか?
戦争は終わらない。私は、決して撤退しない。事実、真実が常識になるまで戦い続ける。役員のとりなしの祈りが無意味だとは思わないが、役員なら役員会で教師と書紀の不義を問え。
今朝も受付で、私を陥れた会計役員がおはようございますと言った。差別する者の愛想笑いの挨拶には吐き気がする。悪意はないだろうが、事実を曲げた事実が消えることはない。生きているうちに精算できるものは精算しておいたほうが良い。奏楽者も同じだ。
原因はともかく、人権侵害の責任は責任者たる金井美彦氏にある。死んでもその罪から逃げ切ることはできない。彼に限らず、罪から逃れられる人など存在しない。腐敗は起きるのだ、それは避けられないが、起きている事実に蓋をして、真実を訴求するものを排除すれば腐敗は進む。悔い改め以外に道はないだろう。