ハラスメント被害者の自殺は、時にハラスメント加害者への強烈なバッシングを引き起こす。しばしば排除することで問題が解決するように考えられるし、厳罰化が必至という考え方も出てくる。本人が変わるか、危険な権限を行使できないようにしなければ被害が深刻化する。
ただ、ハラスメント加害者は自覚がないことが多い。性別役割分担などはその例で、職場でも女性は男性を支える仕事に従事するのは当然と考えられていた。今も、悪意なくそう考える人はいるし、守ってやるのが自分の役割と上から目線に立ってしまう傾向はなくならない。組織運営でも部下は上司を支えなければならないという価値観を当然視する空気は残っている。常識は変わっていくので、3年前の当然が今ではパワハラ認定に至る事象もある。
現実社会では、気配りのできる人は重用される(時には便利使いされる)。つまり、裏方として誰かを支える仕事によって多くの問題が解消されている。社会レベルで言えば、ゴミを減らす努力とか、公衆衛生への注意などは個々の自覚に負うところが多い。一方でそのレベルの高さを国や組織で競うようになると、差別の源泉となる場合もあり、その組織文化の維持のしわ寄せが弱い立場の人を追い詰めてしまうこともある。執拗に求めればパワハラになる。
ハラスメントは起きる。少なくない事例は良かれと思って行った決断によるものだ。
ハラスメント被害者は減ったほうが良い。
検索しても被害をどうさけるか、被害をどう乗り越えるかという記事ばかりがヒットするが、少なくないケースで加害者側の精神状態に起因するものがある。職場のストレスで抑制が効かなくて起きてしまったと思うケースもあれば、家庭や疾病などのストレスも原因となる。
私は、ハラスメント加害(候補)者側=有権限者側のケアがもっと必要なのではないかと思う。DE&Iは弱いものに注目するだけでは足りないと思う。ちょっと古い言葉で言えばノブレス・オブリージュを機能させる施策が必要なのだと言っても良いかも知れない。思い切って言えば、執行責任者(CEO/COOあるいは知事や大臣)が一番ハラスメント加害者となってしまうリスクが高い。言い換えれば、裸の王様リスクである。取り巻きが危ない。
プロジェクトマネージャーであれ、部門長であれ、役員であれメンバーの力を借りなければ目標を達成できない人は、それだけでもストレスに晒されている。余裕がなくなれば、面倒を排除することで近道を探ろうとする傾向が高まる。短期思考になりやすい。結果として、心理的安全性が失われてしまう。
一方で、声高にウェルビーイングや心理的安全性の話を強調してしまうとぬるい組織に陥ってしまい退場の可能性が高まる。
儲けなければ存続できないが、儲けることを目的にしてしまうと、ウェルビーイングも心理的安全性も失われてしまうだろう。結果的にハラスメントも頻発が予想され、離職も増え、ある段階を超えてしまえば業績も急激に悪化するだろう。
最近のトレンドからすれば、パーパス定義を優先した上で、その進捗を確認できる管理と組織の健全性の確保が必要になるといえる。
パーパスへの共感があれば迷い型ストレスは減る。心理的安全性はまずクビにならない自信、あるいは会社の判断によらず生きていける自信があれば高まるが、高給取りは常に脅威と隣合わせとなる。日本の伝統的な企業は終身雇用と年功序列でエリート社員の心理的安全性を高めてきたと言えるが、その心理的安全性は性別役割分担や非エリートの我慢で支えられてきた。時代の推移とともに中間管理職の悲哀が拡大していくのは当然の帰結だ。
成長期のベンチャーは、数年後のビジネスサイズが今より大きくなっていることが期待できるから、ちょっとの失敗でチャンスは減らない。とは言っても、30年も拡大を続けることができるような可能性は極めて小さい。成長が鈍化してきた時にウェルビーイングが事業持続性に与える影響は大きくなるだろうから、早い時期に織り込んでおくことには意味があるだろう。別の観点では、成長期にはつい儲けることに目がいってしまうから、成果に注目が行き過ぎて心理的安全性などの価値を劣後させる人も現れやすい。上位者がリカバリーに力を割かねばならなくなると、メンタルヘルスが悪化する。上位者のメンタルヘルスの悪化は、独裁化やリスク忌避型のような不安定な形態をまねく危険がある。
いろいろ考えてみればハラスメントに対する厳罰化の有効性は低い。トップレベルからウェルビーイングの向上に取り組む必要があり、それを可能にするには、パーパスの明確化が不可欠なように思われる。
時代は変わるから、パーパスの経済的価値(期待)は大きくなったり小さくなったりする。時代の変化とともに新たなパーパス経営企業が誕生し、経営者を含む雇用流動性が上がれば、ハラスメント被害者も減り、バッシングや排除の対象となるようなハラスメント加害者も減らせるのではないかと考えている。
ふと、子どもの時に学んだ『よいことは必ずできる』というフレーズが心に浮かんだ。できれば、ウェルビーイングの高い社会に向けた変化に貢献したいものだ。
※本記事を書くにあたって、以下の修士論文を参考にさせていただいたことを注記しておく