新生活217週目 - 「人の子が来る〜いちじくの木の教え〜目を覚ましていなさい」

今週も福音のヒントの箇所から学ぶ。今日の箇所は「年間第33主日 (2024/11/17 マルコ13章24-32節)」。3年前の記事がある。マタイ伝24章、ルカ伝21章に並行箇所がある。

福音朗読 マルコ13・24-32

〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕
 24「それらの日には、このような苦難の後、
  太陽は暗くなり、
  月は光を放たず、
  25星は空から落ち、
  天体は揺り動かされる。
  26そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。27そのとき、人の子は天使たちを遣わし、地の果てから天の果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める。」
 28「いちじくの木から教えを学びなさい。枝が柔らかくなり、葉が伸びると、夏の近づいたことが分かる。29それと同じように、あなたがたは、これらのことが起こるのを見たら、人の子が戸口に近づいていると悟りなさい。30はっきり言っておく。これらのことがみな起こるまでは、この時代は決して滅びない。31天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」
 32「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存じである。

 この箇所で、私にとって一番インパクトが大きいのは、最後の部分だ。福音朗読ではその冒頭部分だけで切られているが、「」の範囲は広い。

「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存じである。33 気をつけて、目を覚ましていなさい。その時がいつなのか、あなたがたには分からないからである。34 それは、ちょうど、家を後に旅に出る人が、僕たちに仕事を割り当てて責任を持たせ、門番には目を覚ましているようにと、言いつけておくようなものだ。35 だから、目を覚ましていなさい。いつ家の主人が帰って来るのか、夕方か、夜中か、鶏の鳴くころか、明け方か、あなたがたには分からないからである。36 主人が突然帰って来て、あなたがたが眠っているのを見つけるかもしれない。37 あなたがたに言うことは、すべての人に言うのだ。目を覚ましていなさい。」

地震や噴火などの天災を割り当てて考えても良い。通常のリスク管理であれば、被害額などの大きさに発生確率を乗じた値で優先順位を決め、対策を打つ。天地が滅びるというケースの被害額は全人類の人命評価額の総和で発生確率は2000年分の1以下と考えて良い。通常のリスク管理では、検討の対象にはならないだろう。この世の終わりだから対策はないからだ。しかし、このメッセージはイエスの到来後大きな影響を与えていることを忘れてはいけない。概ね全人口の3分の1がキリスト教信者と言われていて、この「目を覚ましていなさい」というメッセージはほぼ100%届いているだろう。それだけではなく、キリスト教信者でなくても、この「目を覚ましていなさい」というメッセージあるいは同等のメッセージが心に届いている人は恐らく大多数だろう。そんなの関係ねえと表明しつつも、どこかで関係ないわけはないと思っている人もいるに違いない。

突然の自然災害で命が失われることはある。原発事故で亡くなる人もいるが、リスク管理の観点で見れば、極めて稀である。生活基盤の破綻で経済的視点での被害額は莫大とは言え、生きてさえいればチャンスはある。地球温暖化が進めば、確実に被害が出る。ただ、手は打てるのである。なかなか、身近な問題と連続して考えることが難しいので、他人事と考えてしまうが、概ね各国官僚は冷静な判断をしていると思う。政治の影響を受けるとは言え、官僚の要諦の一つはリスク管理だし、知識レベルは高いから、「目を覚ましていなさい」というメッセージはほぼ確実に届いている。

リスク対策原資は、現代の経済モデルでは税金である。単純化すれば、税金が増えれば、リスク対策は進み、死んでしまう人は減る。一方で、自分からは遠い人の命を救うために税金を払うのは嫌だという人がいるのも自然なことだろう。移民差別はその典型例となる。金のためなら、この瞬間に人を殺すわけでない地球温暖化よりdrill, baby drillという考えもあるだろう。ユダヤ人の生存のためならば、パレスチナの人々の命など無に等しいと考える人を支持してしまう現実もある。「目を覚ましていなさい」というメッセージは大多数に届いているが、その深さにはかなりの差があるのである。

誰を隣人と思うかという問いも大きい。まだ生まれていない胎児を隣人と見れば、堕胎は究極の悪になるが、それが親の生活を破綻させる現実に目を向ければ単純悪ではなくなる。現実は(現代民主主義的には政権)選択である。

「いちじくの木から教えを学びなさい。枝が柔らかくなり、葉が伸びると、夏の近づいたことが分かる。」から、平均気温の上昇が人類の終わりを予見させることに気づいている人は少なくないだろう。しかし、この記事には「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存じである。」と書かれている。事実であれば、この時点ではイエスも知らなかったということだ。もちろん、私達も知り得ないが、夏が近づいたことが分かるというたとえから学んで、避けられるリスクはきちんと避けなければいけない。

まずは、事実を正確に捉える努力を怠ってはいけないのである。扇動者に惑わされてはいけない。

※画像は、WikimediacommonsのGelijkenis van de dienstknecht die ´s nachts op zijn heer staat te wachten(夜に主人を待つ使用人のたとえ)から引用させていただいたもの