ウクライナ侵攻で各地の多くの知人が傷ついている

モスクワでコワーキングビジネスをやっている知人がいる。確か、ダブリンで同室だった。FBで戦争反対を表明している。

人は一人ずつ皆違う。ロシアへの経済制裁といった表現になるのはやむを得ないが、その向こうには生身の人がいる。

エストニアの人たちもかつては東側の人に括られていたのだが、同じ人たちが欧州の文化の一部をリードする主体になっている。国というレッテルを貼ることで同じ人間が敵になったり味方になったりする。自分自身がレッテルに騙されて自分を見失うこともある。大体、徴兵されたロシア兵は仕事だから引き金を引くが、一人ひとりは愛のある一人の人間に過ぎない。

改めて「政治経済のトリレンマ」を思い起こす。

権威主義は『グローバル化と国家主権をとれば民主主義が成立しない』の結果だ。『グローバル化と民主主義をとれば国家主権が成立しない』を取ればEUのように国家の裁量権は制限される。グローバル化は現象だから現実的には『国家主権と民主主義をとればグローバル化が成立しない』はありえない。無視しようとしても温暖化もパンデミックも消えてなくなったりしない。

目指す方向は、国家主権の縮小と共通ルールの質の向上しかないのではないかと私は思っている。

国家主権という化け物を何とか手なづけないといけない。とりあえず、大きな国旗を禁止するところから始めたら良い。人口や経済力に反比例する国際ルールを制定しても良いのではないかと思う。大きい、強い、という誘惑から少し逃れやすくなるかも知れない。

※この記事は、FBに投稿した内容に手を加えたもの

コメント

経済制裁がどの程度牙を剥くかはまだわからないが、ウクライナのために心を痛めているロシアの人やそのビジネスにも甚大な影響が及ぶ。「ロシアが音を上げるまで痛めつけろ」というような言葉を憎む。国家としてのロシアは糾弾されて然るべきだが、武力行使を支持するよりはマシだと思うが、経済制裁を支持している人もロシアの民には申し訳ないことをしている自覚を持つべきだ。

国家としてのロシアはこのままの状態では存続し得ないだろうが、プーチンの巻き添えになる人たちが泣かなくて済むような未来を望む。

ウクライナの人にも憎悪に溺れないようにしていただきたい。