テレワーク、コワーキングそしてオープンイノベーション

昨日静岡市の用宗を訪問した。街のこと、人が育つということを改めて考えた。

用宗は、東京駅から新幹線で静岡駅までちょうど1時間、東海道本線に乗り換えると2駅7分の港街だ。古民家を改装して宿泊施設を作るなど新たな街づくりを進めている。日本色というブランドを展開しているCSA Travelは(CSA不動産)は、静岡駅の近くで、コワーキングスペースのCOTERRACEを運営している。

30年ほど前、私は私企業の研究室に勤務して、AIに関わる研究に従事していた。上司の理解があったので、しばしば在宅勤務をしていた。親と同居していたが、たまたま徒歩圏内に親の所有する空き部屋があったので、そこにPCを持って行って、何もない部屋でプログラミング三昧の日々を過ごしていた。周囲を気にする事もないし、邪魔も入らないので快適だった。しかし、行き詰まると一人だと落ちた穴から出るのに時間がかかる。同僚と少し話せばすぐ解決できる事がある。オフィスに出るより一人で没頭した方が良い事もあるし、オフィスに出る事で捗る事もある。オフィスに行っても、相談相手が見つからないような問題もある。学会の大会に足を運んで話が通じそうな人を探して大学院の研究室へ出入りできる道を見つけて、歩みを進めていった。

もし、私の生まれが30年遅れていたら、今20代後半でやっている事も違うだろうが、仮に似たような環境に置かれていたらどうだろうと考えてみた。

当たり前のようにテレワークは使うだろう。ネットにつながっていれば、気が散りやすいのは確かだが、通知をオフにしておけば、何もない部屋でプログラミング三昧も可能だし、書籍を持ち運ばなくても、山のような情報がネットから手に入る。一人で仕事をしていても、落ちた穴から這い出すのは格段に楽になっている。ビジネス的な目標を達成するためにという目的であれば、今でも同僚との会話は有効だ。様々なオープンな研究会や勉強会も山のようにあり、自分から足を運べば、人的なネットワークも確立しやすいだろう。

テレワーク、コミュニティへ参加してネットワークの獲得、新たな挑戦への取り組みを模索するのだろうと思う。30年前の自分より、ずっと遠くに行けるのではないかと思う。しかし、そうではないかもしれない。機会が増えれば、競争も激しくなる。全く埋没してしまうかも知れない。

信頼関係を作り上げていくキーワードは自立だ。どこかのコミュニティで、認知されるためには、クレクレ君は論外である。自分は何も貢献していないのに、そこで何かを得ようとしている人は、コミュニティの主要メンバーとして認知される事はない。昔を思い出すと、某大学院の研究室で認められた理由は、自分がやっていた研究がはっきりしていて、その研究を進めている民間企業の研究者というブランディングがあった事と、そのコミュニティで貢献できる事があればできる事をやっていたところにあるように思う。

コワーキングスペースをテレワークの文脈でとらえようとするとこの自立が躓きの石となる。企業もコミュニティの一種で、家族の次に濃い関係にある。さらに、所属部署や役職と言ったラベルがつき、セルフブランディングをしなくても一定の信頼を得られるのだ。ビジネスの世界では、会社の格とその会社がその人に与えた格が信用の源泉となる。評価の高い組織に属しているほどその人そのもので勝負する範囲は小さくなる。コワーキングスペースには、フリーランサーや小規模事業者が多くいる。彼らにはブランドが無いから、自分自身が輝かなければ信頼、信用を得られない。自分自身で勝負できないと生きて行けないのである。

だからコワーキングスペースは、大人の個の関係が試される場になる。親の手厚い保護でスポイルされてしまったドラ息子は表面的にちやほやされても居場所はない。同じく、企業のブランドに守られている事に無意識でも依存してしまっている人もその大人の関係からなるコミュニティに本当の意味で入る事はできない。経済水準が違っても、性別や年齢は異なっていても、やっている事や考え方が違っていても、あるいは国籍や民族が異なっていても、それぞれを尊敬でき、自分が一人の人間として尊敬に足る成長ができていなければ続かない。優れたファシリテーターは、上手に場を作る。そして、良く機能しているコワーキングスペースでは、未成熟な社畜には快適ではない。保護されていない環境で生きて行く力がないからである。

持続的なコミュニティはスーパーヒーローの集団ではありえない。例えば、ニューカマーは知識が少ないからこそ自由な発想ができる事もある。先人は教える事で伸びる事ができるから、新参者には新参者の貢献がある。良質なコミュニティでは、新参者の多様性をコミュニティの進歩に変換する力がある。

用宗は、失礼を承知で言えば、何もしなければ衰退しそうな港町である。しかし、持続可能な街になるために一歩を踏み出している。外から人を受け入れて、定住促進も狙っている。古いものを再生しながら、新しい姿を目指しているのが魅力的だ。こういう街に企業でテレワーク可能な若い単身者を一人で送り込んだら一定の確率ですごく成長するのではないかと思う。東京まで1時間強だから、拠点を用宗においたとしても定例会等に参加しながらビジネスコミュニティと切れないようにすることは可能だ。そして、一人で送り込めば、仕事をしながら地域コミュニティに参加しないわけにはいかない。一緒に食事に行けるような人を見つけたり、常連として認められている定食屋とか居酒屋コミュニティに参加したりできなければ、1年間でも住み続ける事は容易ではないだろう。

最近、オープンイノベーションという言葉がしばしば用いられるようになり、企業の偉い人は何とかしろと中間管理職に命じる。しかし、命じている人の多くが自分がブランドに守られていて一人の人として外部のコミュニティで信頼を得られるに足りない事に気がついていない。コワーキングができなければ、新たなものなど生めはしない。

かなりの仕事は、テレワークで実現可能になった。仮に人員分類でそれが4割だとして、その4割の人の中から街づくり活動に関わらせることでコワーキング能力を獲得する人を育成し、人として頼りにされる人が増やすことができれば、それがオープンイノベーションの土台となる。一見、外部連携に関わる行動を取っていたとしても、軸足が守られた企業の中に留まっているようでは、新しいものが生まれる事は期待できない。

若い人はもちろん、定年年齢の人も、年齢相応に自立し、新たな未来を生み出せるようになったら良い。環境は整ってきていて、一歩を踏み出している事業家もいる。用宗の活動に注目したい。