昨晩みんコワのみにアンに参加した。コワーキングJPの管理者交代に伴い活性化しているシーンに参加したかったからだ。
最初に驚いたのは、チェックインという言葉だった。「今の心と体の状況、何と呼ばれたいか、何を持ち帰りたいか」の3点を述べよという話だったのだが、米欧のコワーキングカンファレンスだとIce breakingの一種の活動にあたり、それにチェックインという言葉が使われるのにちょっと面食らった。みにアンはMinimum Unconferenceで、テーマ無し(なければコワーキングをテーマ)でアンカンファレンスをやるというものだった。最初は面食らったが、これはこれで結構ありだなと思った。当初予定の22時-23時を超えて、15分くらい延長戦にも参加した。
印象に残ったことはいくつもあるが、一番は、最近みんコワに頻繁に出没しているという方の存在とみんコワにいるのにほとんど静粛ルームにいる人の話。とても考えさられた。私は初めてどこかのコワーキングスペースに行くときには、まず運営者に話を聞く。なぜ、コワーキングスペースをやっているのだろうかとか、どのようにコミュニティのことを考えているのだろうかに興味があるからだ。話もしないのになぜオンラインの場で自分の存在を示すのかというのが最初は理解できなかったのだが、自分の地元バーとの接し方を思い起こすと得心したのだ。何となく気になるお店をみつけると、とりあえず入ってみる。良いかもと思った時は、とりあえずしばらく通ってみる。何度か通うと、お店によるが、店主は声をかけてくる。場所によっては店主より先に常連がちょっかいを出してくる。もちろん、反応はするけれど、Away感があるので話す内容は限られる。何度もあっても自分からは話しかけない。その内に距離感が縮まってきてだんだんAwayからHomeに変わっていく。その過程も楽しいし、Homeになったからといって油断はできない。親しい仲にも礼儀ありという言葉を忘れるとすぐ自分の居場所は失われる。なるほど、オンラインでも同じプロセスはあるのかも知れないと思ったのであった。
私は、間合いをとるのが不得意で、すぐ人間関係で失敗する。子供の頃はよくいじめられたし、いまでも50年のHomeをちょっとした事件で失ったりしている。一方で、それなりに歳をとったので、自分の未熟さは自覚しているが、思っていたより遥かに人間関係で苦労している人が多いのが見えてきている。コミュニティに参加しやすくするには、と、考えてチェックインをやってみたり、声のかけ方を工夫したりするのだが、その悩みは教会のそれとそっくりだ。ある日なぜか、礼拝に新しい人が来る。なぜ来たのかもわからない。初めて教会に来た人は、調べていたり調べていなかったりするが、初体験のドキドキは間違いない。個人差によって、壁の低い人も高い人もいるが、大半の人は殻の中にいる。無理をして話せば、二度と来ないし、接点ゼロでも二度と来ない、が、二度と来ないと思っていた人が翌週来たりする。何が効果的なのかは、相手によるのだろう。
オープンソースもコミュニティでミートアップもコミュニティ、それぞれ仲間を増やしたいと思う人がいて、積極的に勧誘活動を行う人がいる(自分もだ)。実は、コミュニティで対面は必須要件ではないのかも知れないと気づいたのであった。勘違いかも知れない。