一年前の明日2020年7月19日に無観客試合、オンライン配信、Withコロナは物事の本質を問うというブログを書いていた。Googleアナリティクスを見ていたら、今日アクセスした人(もちろん誰かはわからない)がいて、パッとは思い出せなかったのでその記事を読んでみたら、興味深かったので引用再掲する。
ブログは日記でもあり、文書化しておけば当時何に注目していたか、どういう考え方をしていたかがわかる。昨年のこの時期は第二波が深刻になり始めた頃で、東京で200名/日を越えた頃だった。前半部分に書いてあることは、現時点の認識と全く変わらない。未だに世界の大勢は、元の社会が戻るという前提で進められているが、私は元と同じ社会が戻るとは今も考えていない。もちろん、今のままの苦しい状況は改善されると思うが、元に戻ると考えるのは適切とは思えない。新しいライフスタイルを模索する以外の道はないだろうと考えている。
以下では、当時のブログの教会に関する記述に触れているので、興味のない方は飛ばして下さい。
後半分で、教会に関して、私は以下のように書いている。
その点(私の理解では)キリスト教は、無条件で居場所を保証してくれていて、社会的寛容性を求めている。聖書を読んでいると、どれだけ社会適応力が低くても、人間扱いされている気がする。それは私の救いだ。
しかし、実際には、砧教会、金井美彦氏は私を排除した状況を今日も続けていて、しばらく前に金井美彦氏から会話の継続を拒絶され、それに基づいて2020年6月7日の時点の役員(ほぼ全員が現在も役員)に対して事実をまとめて欲しいとリクエストしたが、本日そのリクエスト後に開催された2021年7月11日の役員会の報告があったが、リクエストがあった事実すら報告されることはなかった。それが、今の砧教会執行部と金井美彦氏の現実である。私からすれば邪悪の極みである。怒りは問題を解決しないが、排除され続けていれば怒りを抑えるのは難しい。まずは、ただ、事実を整理してもらいたいと要求しているだけなのだ。
昨年のクリスマス礼拝以降、数回の例外を除いて砧教会のオンライン礼拝には出席を続け、席上献金も継続している。金井美彦氏の説教には学ぶべき点は多い。ただし、私にとっては(あくまに私にとってはであるが)その教えと彼の現実の行いとのギャップは大きい。教会生活を守るということはどういうことか、問われ続けて1年以上が経過した。
私は、自らが正しいと思う道を進む。
まだこの先どうなるかは分からない。ただ、金井美彦氏が対話のチャネルを少なくとも短期的には閉ざしてしまったので、春に一度非公開にした私の砧教会に関するブログは慎重に中身を検討しつつ順次再公開していこうと思う。事実と異なることは書く気はない。声が届かないのであれば、何らかの手段で届けるしか無いだけで、決して破滅を望んでいるわけではない。たとえそれが砧教会で2020年6月7日に責任を負っていた人たちや金井美彦氏にとって不愉快なものであったとしても事実が明らかになることをまずは期待する。全ては、そこからだと思っている。そして、必ず破滅的でない出口はあると信じている。自発的に応援してくださる方があれば声が届くように支援していただきたい。