クリスマスの準備が始まった

タリンの旧市街下町の中心のラエコヤ広場でまもなくクリスマスマーケットが立つ。

2日前の11月16日には、何もなかったところに急にクリスマスツリーが立った。

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街を歩いていてマスクをしている人はほとんどいないが、距離は取れるのであまり怖くは感じない。ただ、バスなどで人が増えてくると私はマスクをする。変な視線を感じることは殆どない。それぞれ、好きなようにすればいいじゃないかという雰囲気が支配している。それでも、群れている集団を見る機会は少ない。昨年はほぼゼロだったが、今年は多少は目にするという程度だ。

こちらでは、日の出が8:21で日の入りが15:50。今日はテレワーク協会のサードワーク研究部会が8時(日本の15時)からあったので、日の出前にオフィス(Workland)に入ってテレホンブースで参加。その後、細々としたことを片付けて、10時頃に洗濯屋に衣類を持っていって、そのまま散歩、12時前に昼食をとってWorklandに戻った。昨日は、Drupalのサイト設定作業をやっていたら区切りがつかず20時前までWorklandで仕事をしていたが、ほぼ毎日朝8時にはWorklandに入り、途中に2〜3時間の日のある間の散策を入れて18時前には上がる生活をしている。ちなみに11月16日の写真は朝7:30頃のオフィスに入る前のものだ。17時には完全に夜になってしまうので、律儀にオフィス生活をしていると全く太陽を拝まない状態になる。人手も少ないせいか、20時頃に閉店になる飲食店も多く、20時まで仕事をしていると深夜までやっているような高めの店に行くしか無くなってしまう。

夜の長い街でのクリスマスマーケットは凍えながらも温かい景色となる。あとほぼ1週間の滞在で、今年はこちらでやろうとしていたことは概ね順調だったが、まだまだ道は果てしなく遠い。

3週間滞在していると、ホテルとワークスペースが拠点となる。そこをベースに行動を考えるようになり、誰かを訪問したり招いたりするのも日常になる。今年は去年と同じ宿、同じスペースを使っているので、昨年より日常化も早い。ちょっと帰ってきた感があって、アムステルダムへはベース拠点であるタリンからの出張という感じだった。3泊だから荷物も少なかったし、ちょっと長崎とか札幌とかに行ってきますという感じ。

たまたま、airBalticの機内誌にWorkationという用語が出たので、それを仕事関係の人にメールで送ったら、どんな記事だったのかと反応があった。リトアニアではWorkationという言葉を旅行業界の人が使っているようで、日本のワーケーションと多分大差ないのだが、弾丸ツアー感はない。最低3日位からだけど、2週間位は落ち着いて滞在しながら仕事は通常通りやりながらも旅行の喜びも感じましょうというおすすめになっている。

もちろん、コストはかかるが、ちょっとした困ったことはWorklandのコミュニティマネージャーに相談すれば、ヒントをくれるし、何なら同室の人に聞いてみることもある。旅先であっても3週間もいれば、どこの洗濯屋はサービスが良いとか、どこの飲食店は安くてうまいとかそういう何でもない会話が増えていく。それが幸せといえば幸せなのだ。言葉の違いや文化の違い、全く違う景色や歩き心地に触れながら、日常生活が過ぎていく。

前職の頃は、オフィスを自宅を往復するばかりだったし、充実感はあったが、今の働き方は遥かに快適だ。

若いときに社会の流儀を身に着けなければ破綻するという同調圧力は大きいけれど、何か違う気がする。もちろん、指揮命令系統に従って成果を出す訓練には価値があると思うし、それによって一人では届かないような成果を作り上げていくことができるのは事実だ。社会的な地位の高さとか、友達の数とか、それはそれで大事だけれど、依存症になってはいけない。たまたま、今日の研究部会のときに家族とは何かが話題となったが、例えば登校拒否がおきたら、国が提供する教育サービスの代わりに親が面倒見なくちゃいけないというのはちょっと考えれば本当に変な話だ。

それぞれの人が様々な問題を抱えている中で、それぞれがもてる力を出し合って、共に生きていける社会に向けた制度設計は今よりずっとよくできるはずだ。一人で旅を続けているとリスクを感じながらも、なんとかなるさという気持ちも湧いてくる。非日常の日常化は私の力の源泉でもある。

所属教会の問題では、大変苦しい思いをしているが、まずは、何とか自分が生きて、自由であることが大事なのだと思う。良いと思うことをやれば良いのだ。異国の地でもクリスマスを祝うのは楽しいことだ。旅が終わればまた別の旅が始まるのだ。

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