差別を学ぶ 障碍も性自認もパーソナリティの一部と考えることができないと、Diversity and Inclusionもアクセシビリティも強者による弱者への憐れみと位置づけられてしまう。それは差別そのものなのだ。恥ずかしながら、私の中でまだ憐れみという感覚が残っていることに気付かされた。 タグ ライフスタイル 政治 差別を学ぶ の続きを見る
久しぶりに砧教会の会堂礼拝に参加した リアル会堂礼拝にはオンラインで得られない体験が確かにある。集まっているという感覚があり、共にいるという喜びはある。牧師と対立関係にあっても、自分に嘘をつくことはできないし、逆に自分の誠実性に自信を持っているので、堂々と出席した。場を緊張させるのは申し訳ないと思うが、真実をごまかすわけにはいかない。 タグ キリスト教 久しぶりに砧教会の会堂礼拝に参加した の続きを見る
新生活126週目 - 「復讐してはならない、敵を愛しなさい」 画像 敵を愛せという教えは、それだけを取り出すと無理がある。ウクライナの人が今攻めてきているロシアの兵士を愛することは無理だ。しかし、捕虜を公平に扱うことはできる。自分が愛する人のために不正をしてはいけないし、自分が愛することのできない人だからといって不正な扱いをしてよいということはない。 タグ キリスト教 新生活126週目 - 「復讐してはならない、敵を愛しなさい」 の続きを見る
Drupal 10でGroup 3.0.0-rc1 を試してみた 画像 Group 2/3は、ある意味でDrupalの権限管理への挑戦と言える。今回のバージョンアップで他のモジュールとの直交性が高まり、複数のモジュールを結びつけるようなモジュールが不要になる。対応が不要になるわけではないが、気を使いながらアップデートする必要がなくなるのは朗報だと思う。 タグ Drupal Drupal 10でGroup 3.0.0-rc1 を試してみた の続きを見る
日本基督教団砧教会は公式な書簡を公開できない組織に堕ちてしまった 真実に向き合って事実を明らかにしてもらいたい。ただ、それだけを願う。その結果、自分の間違えが明らかになるとしても決着が付けられないよりはましだ。 タグ キリスト教 日本基督教団砧教会は公式な書簡を公開できない組織に堕ちてしまった の続きを見る
新生活125週目 - 「律法について、腹を立ててはならない、姦淫してはならない、離縁してはならない、誓ってはならない」 画像 弟子たちは、イエスが「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。」と言ったと伝えたのだろう。それらの言葉が集められて文書化され、福音書はできた。うける話は繰り返され残っただろうし、うけない話は回数が減り消えていっただろう。その伝承の奥に何があったのかを多くの人が研究してきた。 タグ キリスト教 新生活125週目 - 「律法について、腹を立ててはならない、姦淫してはならない、離縁してはならない、誓ってはならない」 の続きを見るコメント数 1
DrupalのContent editorロールは地味に革新的だ 画像 CMSは最初は匿名ユーザーと管理者の分類だけで十分だった。だから、Content Author=Content Editor=Administratorで問題なかったのだ。しかし、サイトの規模が大きくなると役割分担ができなければ維持できなくなる。Content editorは管理者権限のないコンテンツの編集権限を与えるということはどういうことかという探求の成果となっている。 タグ Drupal DrupalのContent editorロールは地味に革新的だ の続きを見る
常識は時代とともに変わる(LGBTだけではない) 結果的に荒井勝喜氏は日本の人権向上に寄与したと思う。同性婚の法制化も不可避だと思うが、より重要なのは性的同意の厳格化だろう。それが当たり前になれば、同性だろうが異性だろうが性的同意を求めるのが常識になり、好まなければ自由に否定できるようになる。やがてLGBTのカミングアウトも容易になっていくだろう。 タグ ライフスタイル 政治 常識は時代とともに変わる(LGBTだけではない) の続きを見る
エレミヤ書20章 「エレミヤの告白」 説教を聞いている間は、そこから何が得られるのかと集中できるのが良い。実際には、他ごとが頭に浮かんできて集中力が削がれることも多いし、説教者の状況次第でがっかりさせられることも少なくないが、そこに学びの機会は必ずある。 タグ キリスト教 エレミヤ書20章 「エレミヤの告白」 の続きを見る