キリスト教

新生活33週目 - 「続:イエスはまことのぶどうの木」

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第1ニカイア公会議を画いたイコン。アリウスが下方の闇に画かれ断罪されている。(メテオラ・大メテオロン修道院所蔵)
今週も福音のヒントに学ぶ。今日の箇所は「復活節第6主日 (2021/5/ 9 ヨハネ15章9-17節)」。先週の箇所の直後である。福音のヒントは「15章以下はおそらく後から拡大された部分でしょう」としている。私に聖書学の知識はないが、改めて読むとこんなシーンは無かったのではないかと思われてならない。とは言え「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい」という教えは素直に受け入れてよいだろう。

新生活31週目 - 「イエスは良い羊飼い」

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ジュリアン・デュプレ 「羊飼い」-「田園讃歌 近代絵画に見る自然と人間」展カタログ
今の私は、ヨハネによる福音書に、イエスの人間臭をあまり感じさせない後から再整理した英雄伝的な傾向を感じている。生前から全部わかっていた感が強く出ていて、この箇所もどこか人間性が希薄な感じがする。生きているイエスは人間で一人の人間として使命に忠実に自分の命をかけて生きたのだと思っている。

新生活30週目 - 「エマオで現れる」~「弟子たちに現れる」

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Emmaus Ncopolis Byzantine Basilica restored upon a smaller scale by crusaders
今日の箇所のメインは先週のトマスの話の別バージョン。福音のヒント(3)にあるように「彼らの心の目を開いて、言われた」というところが印象に残る。情報は提供されている(見ることはできるのだ)が、「心の目」が開かなければ見えるようにはならないのである。

新生活29週目 - 「イエス、弟子たちに現れる」

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イエスに触れるトマス。ドゥッチオ・ディ・ブオニンセーニャ作。1308-1311頃。
今日の箇所は「復活節第2主日 (2021/4/11 ヨハネ20章19-31節)」。「イエス、弟子たちに現れる」、「イエスとトマス」、「本書の目的」という見出しの箇所だ。改めてトマスのことを考えて好感をもった。疑い深いという批判的な接頭辞とともに書かれることが多いが、事実に沿って考える姿勢は決して悪くないと思った。

新生活28週目 - 「復活する」

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今日はイースター、教会暦的には主の復活を記念する日である。イエスが物理的に復活したとしても特別な事象であれば、それ自身は現実に影響を与えることはない。だから、人が復活を信じると言っても信じないといっても現実は変わらない。しかし、復活した生きているイエスに従うと行動は変わる。復活のイエスは今現在も生きて働き続けているという良いニュース/福音をこの記念日に一人でも多くの人に伝えたい。

新生活27週目 - 「ピラトから尋問される~イエスの死」

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Monastery of St Onuphrius in Hinnom Valley (Bounty24) Aceldama
今日の箇所は「受難の主日 (2021/3/28 マルコ15章1-39節)」。イースター直前の日曜日で、十字架のシーンを含む。イースターはクリスマスより理解が難しいし、イエスの死の過程に向き合うのは誕生を祝うことと比べれば明らかに苦しいものだ。つい逃げてしまうが、ここから逃げてしまうと何もかにもがキレイごとになってしまう。

一年前の今日

昨年3月22日に総会決議は行われた。公知の事実だから書いてもよいだろう。私はこの一年で自分では気がつくことはできないかも知れないが、すべての人が成長できたと思う。私は、元の日常がそのまま戻るとは考えていないが、明けない夜はないと信じている。