キリスト教

新生活26週目 - 「ギリシア人、イエスに会いに来る~人の子は上げられる」

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wikimedia イエスの入城(ジョット画)。ナツメヤシが描かれている。
「火曜日のエルサレムのバックステージ」説を考えてみた。日本に住んでいると、日本語と日本語以外の外国語という視点からなかなか自由になれないが、彼の地には複数の言葉が併存していた。「ギリシア語を話す異邦人」はヘブル語以外の人という風に考えてしまうが、実はイエスが使うアラム語はバビロンの影響を受けた言葉だ。世界宗教というのは私達が考えるより身近な概念だったのかもしれない。

黒歴史を思い出す

ナショナリズムや会社員としての行動規範は善意の塊なのだと思っている。吉と出ることも凶と出ることもあり、時間が経過しないとわからないことも多い。一方、視点を変えてみると、ナショナリズムや会社組織の常識は人権を蔑ろにする行為を生み出したり、平気で人を排除することができる邪悪な力にもなる。単純な善などどこにも存在しないが、良い未来を模索する自由は与えられていると思う。

新生活25週目 - 「イエスとニコデモ(後半)」

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A monument of the bronze serpent (which Moses erected in the Neghev desert) on Mount Nebo, in front of the church of Saint Moses (2018).
今年のイースターは4月4日。「四旬節・復活節の根本的なテーマはイエスの死と復活にあずかることです」というメッセージは重い。時代の流れに押し流されてしまえば、多くの場合イエスを十字架刑に処する側に立つことになる。しかし、イエスは殺しても復活し、2,000年を経ても影響を及ぼし続けている。私は神の国を見たい。「人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない」とはどういうことか。

新生活24週目 - 「神殿から商人を追い出す~イエスは人間の心を知っておられる」

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十戎
宮きよめの記事は、子供の時には拍手喝采をもって読んだけれど、現実社会に長く生きているうちに、単純に喝采しても問題が解決しないことをおぼえる。多くの民主化の春は雪のように消え去ってしまう。ヨハネ伝の「イエスは、何が人間の心の中にあるかをよく知っておられたのである」の含意を考えてみた。

ヨブ記40章

ヨブが何を考えていたかは、わからない。そもそも、実在する人物かどうかもわからないし、ヨブ記は恐らく小説のようなものだろう。ただ、ヨブ記は数千年の時を経てなお人の心に問いかける力をもっている。解釈は人によって異なるが、なぜか響く。

新生活23週目 - 「イエスの姿が変わる」

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今週の箇所は「四旬節第2主日 (2021/2/28 マルコ9章2-10節)」。福音のヒントによると、「四旬節に「主の変容」の箇所が読まれるのは、教会の古い伝統です」とあったが、私は理解していなかった。現実離れした、とても不思議な箇所で、何かすごいことが起きたらしいという以上の意味を見出したことはない。

新生活22週目 - 「誘惑を受ける~ガリラヤで伝道を始める」

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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%8A%E3%82%A4%E5%8D%8A%E5%B3%B6#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:EgyptIsraelBorderEilat.JPG
プロテスタント教会では受難節、カソリックでは四旬節が始まった。カソリックで「活動開始の箇所が読まれるのは「悔い改めて福音を信じなさい」という言葉のため」と福音のヒントに書かれていたのが印象に残った。

新生活21週目 - 「重い皮膚病を患っている人をいやす」

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新松戸幸谷教会のページにあるカファルナウムの会堂跡の写真
今週の箇所は「年間第6主日 (2021/2/14 マルコ1章40-45節) 」で今日の福音のヒント(3)の解説は今まで考えたことのなかった視点を私に与えてくれた。多くの人は、奇跡の方に注目して集まってくる。それは自然なことだが、キリスト教が2000年を経てまた残っているのは、奇跡の結果だとは思わない。その教えから覚醒した人が善き業を行ってきたからだと思う。そして覚醒は終わりのない旅だからゴールなどないのである。

新生活20週目 - 「多くの病人をいやす」

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Artist: Unknown. Date: second half of the 6th century. Provenance: Constantinople. Present location: Sinai. 92.8 x 53.1 cm. Encaustic icon.
「一行は会堂を出て、シモンとアンデレの家に行った。ヤコブとヨハネも一緒であった。 シモンのしゅうとめが熱を出して寝ていたので、(中略)イエスがそばに行き、手を取って起こされると、熱は去り、彼女は一同をもてなした」は、不思議な話である。冷静に考えれば奇跡など起きるわけがない。奇跡はあったかも知れないし、後日の捏造かも知れない。しかし、超越的な力には昔も今も期待する気持ちは消えない。私達にできることを記述すれば「それは一人一人が祈りの中で、沈黙のうちに語りかける神の言葉として受け取るしかないのです」かも知れない。

新生活19週目 - 「汚れた霊に取りつかれた男をいやす」

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capernaum-from-the-sea - BIBLE READING ARCHEOLOGYから引用
今週も福音のヒントを参考に過ごしている。前にも書いたが、私の主日礼拝は受動的だった。こうして毎週文章を書くことによって、自ら真剣に考える。考えたからといって答えが見つかるわけではないが、少なくとも能動的に学ぶことによって知識は増える。