新生活83週目 - 「イエス、弟子たちに現れる」 画像 「疑い深いトマス」を子供の頃は何となく馬鹿にしていた。受洗後、しばらくを経て疑いを持つことへの抵抗が減り「疑い深いトマス」は人間として正しいのではないかと思うようになった。処刑から昇天までの40日間に学ぶ。 タグ キリスト教 新生活83週目 - 「イエス、弟子たちに現れる」 の続きを見る
新生活82週目 - 「復活する」 画像 今日はイースター。教会では復活を祝うが、それは振り返って見るから祝う対象となる。その日その時には、イエスが処刑されたショックの中にあったわけで、埋葬された墓にはイエスの遺体が無かったことに驚き、わけがわからない状況にあったのだと思う。ただ、その時にはわからなくても、新たなスタートが切られていたということだ。長い時間を経ないとわからないことはある。私は難しい祝日だと思う。 タグ キリスト教 新生活82週目 - 「復活する」 の続きを見る
新生活81週目 - 「ピラトから尋問される〜イエスの死」 画像 今週は受難週。改めてイエスが磔にされた金曜日の出来事を聖書から学ぶ。時の権力はイエスの抹殺に成功したが、約2,000年を経てその記事を読むと既に手遅れでイエスの教えが民衆の心に根付いていたことが分かる。世界を敵と味方、外側と内側が違うものと説いても全てはつながっていて事実に蓋をし続けることはできない。 タグ キリスト教 新生活81週目 - 「ピラトから尋問される〜イエスの死」 の続きを見る
新生活80週目 - 「わたしもあなたを罪に定めない」 画像 イエスは「あなたを罪に定めない」と言ったとある。「あなたを罰しない」とは言っていない。同時に「もう罪を犯してはならない」とも言っているから、あなたが罪を犯した事実はあるが、私はあなたが罪を犯した事実を告発しないという意味になる。事実が明らかになっているから、女は絶体絶命状態にある。律法の存在意義が問われる。 タグ キリスト教 新生活80週目 - 「わたしもあなたを罪に定めない」 の続きを見る
訴訟期日が2022年4月19日となった 私の視点の間違いは否定できないものの、ついに砧教会の自浄作用が働くことはなかった。恐らく、被告2人に訴状が届いているはずだ。 タグ キリスト教 訴訟期日が2022年4月19日となった の続きを見るコメント数 1
新生活79週目 - 「「放蕩息子」のたとえ」 画像 人間はほぼ100%放蕩息子である。もちろん、放蕩息子であることは推奨されていない。放蕩息子であることを自覚するところから進む道が見えてくるのだろう。 タグ キリスト教 新生活79週目 - 「「放蕩息子」のたとえ」 の続きを見る
新生活78週目 - 「悔い改めなければ滅びる」 画像 新共同訳では「悔い改めなければ滅びる」という標題がついているこの箇所は、私には印象が薄くて、何を意味しているのかこれまであまり考えたことがなかった。しかし、読み直してみると「あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる」は終末の裁きにおける滅びというより、無自覚のままならやがて例えば異常気象のような人災で総人類が自滅するという教えのようにに感じた。 タグ キリスト教 新生活78週目 - 「悔い改めなければ滅びる」 の続きを見る
新生活77週目 - 「イエスの姿が変わる」 画像 主の変容は、神々しいシーンを想起させる。でも、弟子たちがそこにいたのがモーセ、エリヤだと分かるわけがない。ラファエロの絵画は、16世紀の公認された解釈の一つと考えればよいのだろう。本当のところは今となっては分からない。その時、何があったのだろうか。 タグ キリスト教 新生活77週目 - 「イエスの姿が変わる」 の続きを見る
新生活76週目 - 「誘惑を受ける」 画像 受難節が始まった。まもなく2020年6月7日以降2回目のイースターを迎える。戦争が起きるまでには、数々のこのくらいのことには目を瞑ろうとしてきた積み重ねがある。福音のヒントに学びつつ荒野の誘惑を考えた。 タグ キリスト教 新生活76週目 - 「誘惑を受ける」 の続きを見る