キリスト教

新生活68週目 - 「イエス、洗礼を受ける」

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ミンスクの教会(2019年11月17日)
新たな年、まだ動き始めた実感はない。昨年と変わらない時間が流れている気がするが、少し考えれば常に変化は起きている。イエスが洗礼を受けた時、非連続な変化は起きたのだろうが、同時に以前と変わらない時間が流れていたのだろうと思う。祈りは、人生を変える。

新生活67週目 - 「占星術の学者たちが訪れる」

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ナルヴァの教会
東方教会と西方教会でカレンダーは異なる。日本のキリスト教的旗日はクリスマスだけだ。祝日ではない。でも、少し考えると旗日の根拠などないに等しい。それでも、カレンダーがあることで考えるきっかけがあるのはありがたいことだと思わなくもない。

新生活64週目 - 「洗礼者ヨハネ、教えを宣べる(中盤)」

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今週も福音のヒントに学ぶ。今日の箇所は「待降節第3主日 (2021/12/12 ルカ3章10-18節)」。

先週から3節飛ばしたところからである。なぜ3節飛ばすのだろう。福音のヒント(1)では、この部分

7 そこでヨハネは、洗礼を授けてもらおうとして出て来た群衆に言った。「蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。8 悔い改めにふさわしい実を結べ。『我々の父はアブラハムだ』などという考えを起こすな。言っておくが、神はこんな石ころからでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる。9 斧は既に木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。」

1年8ヶ月ぶりに会堂礼拝と聖餐式に参加した

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タリンのメソジスト教会
2時間強会堂にいて、集中して話を聞き、できるかぎりよい同胞でありたいと頑張ったら疲れた。疲れたけど参加してよかったと正直に思う。同時に、コロナが明らかにしたとは言え、約30年前に世界は転換点を迎えていたことに気が付かされた思いがする。

新生活60週目 - 「大きな苦難を予告する〜人の子が来る」

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https://commons.wikimedia.org/wiki/File:De_revolutionibus_1543.png
終わりの日があることを意識することで、それはいつかやればよいことから、今やらなければいけないことに変わる。現実には今日とほとんど同じ明日がやってくるが、永遠に続くわけではない。突然事態が変わることはしばしばあるし、もう行き止まりだと絶望しても道が開けることもある。