ライフスタイル

国籍は自然人の属性でしかない

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2018年のタリン
デジタルアイデンティティはやがて世界共通の仕組みにならざるを得ない。マイナンバーは滅び、日本の電子政府への取り組みは今の延長線で考えていれば失敗する。一方、エストニアの行政モデルは世界のリファレンスモデルになるだろう。日本はエストニアのモデルを参考にしたのに、残念ながら人権優先の部分は採用せず、政府による国民支配に一定の制限をかけるだけの情報化時代前の古い法制を作り上げ、自縄自縛で給付金さえうまくまけなかった。 もう一度、エストニアの新しい制度・考え方に学んで、本当に良い未来を目指せたら良いと願っている。日本だけでしか通用しない制度に固執せず世界で通用する制度を作り上げたいものだ。工夫次第できっと良い未来を手に入れることができる。

強さへの依存から多様でしなやかな社会へ

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2013年のストックホルム
VOGUEの『政治もファッションも! より良い社会をつくるリアルな戦略。【北欧サステナライフ研究 vol.5】』という記事に「昨年末、フィンランド新首相にサンナ・マリーン社会民主党党首(34)が就任した。現職で世界最年少の首相となり、連立政権を組む5党の“顔”は全員女性。そのうち4人が30代だ」と書かれている。北欧はヨーロッパの中でも特別な地域としてブランドになっているが、それでもこの事実は衝撃的である。 北欧は、早い時期に少子化に直面し、持続可能性への取り組みが早かったように見える。地球温暖化など今までの強者優遇政策の向こうにある破綻が明らかになって来て、強さへの依存から多様でしなやかな社会への変革を望む声が大きくなってきている今、子育て世代の女性達に国の判断を任せるのは好ましいことに思える。

言わなければよいのに

Facebookで書いた記事を一部訂正して再掲。『【事実隠ぺいの代償】国益に反する厚労省のリスクコミュニケーション失敗《岩田健太郎教授・感染症から命を守る講義㉙》』という記事を読んで書いたものだ。ダイレクトには書かれていないが、事実をごまかすと最後は敗戦に至るという寓話である。ふと、パウロは生前のイエスに対する関心が薄かったという伝承を想起した。実際のところ、聖書を読めば読むほど、人間イエスはそうとうやばい。しかし、イエスの教えは革新的で核心的だと思う。パウロは偉人伝ではなく信仰の本質を説いたのだと思う。イエス伝、福音書を含む偉人伝は人の感動を生むが、それだけではパラダイムシフトは起きないのだと考えている。

新型コロナに対する油断は禁物

新型コロナが現実的な脅威と感じられるようになってから半年。様々な対策が取られるようになったし、他国と比較するとかなり感染防止に成功している方だと思う。ただ、自分たちのコロナ対策が正しい、今の行動を続けていれば大丈夫と考えるのは危険だ。冷静に考えると、日本の場合、医療関係者とか特別な環境にある人を除くと、ほとんど誰も新型コロナウィルスに暴露していない。つまり、ウィルスがいないから感染していないだけである。ひょっとするとその対策は自分が良く接触する10人の一人に感染者が入れば一発アウトなものかも知れない。行動変容は避けられない。

立憲民主党への合流で考える

恐らく、この世の政治に決定版などない。今は世界中でポピュリズムの嵐が吹き荒れているが、衆愚政治を廃して合理的な判断をすれば多くの人が幸せになれると言うほどこの世は単純ではないだろう。ただ一つ言いたいのは、政治の世界にも独占禁止法に相当するルールが必要だと思うことだ。

新型コロナ後の世界を考える

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図表2-1 国際情勢における本質的な変化と目指すべき方向性
7月14日付の「ポストコロナの世界と日本 ─レジリエントで持続可能な社会に向けて」という記事の『三菱総合研究所は、ポストコロナで目指すべきは、「レジリエントで持続可能な社会」の実現と考える』に共感。様々な調査データがグローバル化への嫌悪感や抵抗感を示しているが、そのデータを読んでなおレジリエンスに注目している。記事には書かれていないが、私の解釈では国を超えた独占禁止法の創設を示唆している思う。

今日はカテーテルアブレーション5周年記念日。水泳と歩数から、変化を見る

今から5年前に心肥大傾向から判断してカテーテルアブレーション手術を受けた。あれから5年、振り返れば30年ぶりに時代が動いている。国というしばらく続いてきた制度が終わるか、あるいは人類が滅亡するか、私達は、今、その分かれ道に直面していると思う。

COVID-19とどう付き合っていけばよいのか

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New York Rt: COVID Reproduction Rate
新型コロナが絶滅不能な疾病だとするとどこかで概ねRt=1となる。その時、日次感染者数は一定となり、定常状態となる。もちろん、そこからの改善も起きるが、施策の結果Rt>1となれば社会は壊れていく。東京アラートは当面の目標となる定常状態を定義したが、残念ながら数値基準を廃棄してしまった。改めてCOVID-19との付き合い方を考えてみた。

二元論と因果応報、そして確率

因果律は確かに機能している。しかし、確率的にしか機能しないし、時間軸を変えてみると機能しなかったことに気付かされることも多い。大勢の人が、確率的に有利な行動を取れるかどうかがコミュニティの未来を左右する可能性が高いが、それも確率的な事象となる。