ひょっとすると社会が崩壊しつつあることが可視化されていないのかもしれない

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目に見える隣人愛と、科学的に考える隣人愛は違うのだ。目に入る人を救う行為は美しいが、人権を守るシステムを確立するほうがずっと結果は大きくなるだろう。企業や家族、あるいは住んでいる土地・自治体に個人が属しているというモデルを続けていると破綻の実態が見えなくなるリスクが見過ごされるように感じる。

自分のアクティビティを知る

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track.toggl.com/reports/summary/440985/from/2022-08-25/to/2022-08-31
Toggl trackで自分のアクティビティの把握に挑戦している。従来業務視点、業務生産性や課金情報を取るために利用してきたものをテレワーク協会のサードワークプレース研究部会の提言「企業・団体は従業員の私生活のアクティビティを意識する必要がある」に基づいて考え直してみることにした

新生活101週目 - 「客と招待する者への教訓」

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File:Brunswick Monogrammist Great Banquet.jpg
この箇所は割と印象に残っている。単純にその通りだと思っていたが、改めて読み直すと疑問も湧いてくる。書いてあることがおかしいとは思わないが、平行箇所がないだけに筆者がなぜこの部分を書いたのかが気になってくる。

コロナ禍で多くの「死ぬかと思った」という人がいたはずだ

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日経新聞2022年8月25日朝刊に掲載された世界各国・地域の新型コロナ感染者・死者数の表
コロナ禍で多くの「死ぬかと思った」という人がいたはずだ。私の場合は、その体験が私の人生を変えたが、コロナ禍で死ぬ思いをした人たちにはどのような変化をもたらしたのだろうか、何も変化はなかったかもしれないし、大きな変化が起きた人も、変化は起きたが時間とともに忘却の彼方となった人もいるかも知れない。感染者数がのべ17百万人ともなれば、かなり怖い思いをした人は百万人以上いるだろう。概ね人口100人に一人だ。何らかの形で、その一人ひとりの思いを記録しておくことはできないものだろうか。