もう「性同一性障害」、障害という言葉を使うのはやめよう

もう「性同一性障害」、障害という言葉を使うのはやめよう。障害と名付けることは普通でないとすることであり、疾患で治療できるなら治療するのが正しいこととなってしまう。私達が正常と異常を決める価値観の多くにはバイアスがかかっていて、私達はいかに善良であっても有能であってもその呪いの存在に気付くことは困難だ。しかし、その呪いから自由になれば差別を減らし、自分にも恩恵が返ってくる。

新生活84週目 - 「イエス、七人の弟子に現れる〜イエスとペトロ」

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エルサレムとガリラヤの距離感を表すマップ
ガリラヤで漁師生活に戻った弟子たちは「それがイエスだとは分からなかった」。しかし、復活のイエスに会ったという実体験をしたのだ。昇天前の40日間の出会いは難解である。一方で、イエスは今も生きている人に影響を与え続けている。当時何があったかをすべて知ることは不可能だが、考えられるだけ考えてみた。

Drupalとオープンソースの今後を考える

Drupalは巨大化の道を歩んでいない。プロプライエタリ製品では、機能強化がバージョンアップの売りになるが、オープンソースでは、コアの堅牢さと周辺コミュニティの充実が競争力になる。一過性のシェアより、大事にすべきことがある。
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「皆にとって正しい優先順位」は存在しない

信頼できる事実検証の仕組みを確立する必要がある。個々の気持ちは尊重されなければいけないが、理性的な判断がなされなくなれば人命が損なわれてしまう。民意は通らないと困るが、民意の合理性が高まる方策を模索しないわけにはいけない時代が来たと思う。
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やってはいけないことをしてしまった罪は罰を受けても消えはしない

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ウクライナ政府のTweet
ロシア政府がウクライナでやっていることで、教科書をウクライナ語からロシア語に変えた話などがでているが、それはかつて日本が中国や朝鮮でやっていたことだ。この動画でウクライナ政府は政治的には失敗したと思うが、日本の人たちがその画像を見て怒ってしまうとしたら、自分達は道を踏み外しかけていると気がつくべきだと思う。

国と宗教、そして歴史観

紛争が起きてしまうと解決は容易ではない。ウクライナに限らず一度戦争になってしまうと元に戻ることはない。どういう新しい形を探すしかないだろう。平時のルールを次の紛争が減るように改定しないといけない。大国の横暴が通らない社会ルールを確立する必要があると思う。

新生活83週目 - 「イエス、弟子たちに現れる」

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St. Thomas, from Rubens' Twelve Apostles Series.
「疑い深いトマス」を子供の頃は何となく馬鹿にしていた。受洗後、しばらくを経て疑いを持つことへの抵抗が減り「疑い深いトマス」は人間として正しいのではないかと思うようになった。処刑から昇天までの40日間に学ぶ。

drupal 10.0.0-alpha3

drupal 10.0.0-alpha3が出ているので、インストールして見た。Barrioはサクッとは動かなかったが、ちょっと触るだけでサブテーマも含めて最低限の動作は確認できた。エンドユーザーから見ると、目立った機能拡張はないので、ちょっとつまらないが、より堅牢なCMSに進化しつつあるように感じている。
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