キリスト教

新生活119週目 - 「羊飼いと天使」

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Angels Appearing before the Shepherds
カトリック教会は1月1日を世界平和の日としているのだそうだ。ウクライナ侵攻は、内戦のような紛争ではなく本当の戦争だと思う。救い主が現れて世を正すことを期待する思いは禁じ得ないが、イエスはそういう救い主ではなかった。イエスがイエスと名付けられた日を世界平和の日として祝うのは好ましいことだと思う。もちろん強要するものではない。

新生活118週目 - 「イエスの誕生」

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Geertgen tot Sint Jans: Nativity at Night
ルカ伝の生誕物語は史実ではなく創作だと思う。人口調査やヘロデ大王の死去時期など他のより確からしい歴史資料との整合性がない。だからといって、この記事が無価値というわけでもない。いろいろ含みおいた上で、クリスマスを愛でたい。

今日砧教会の現住陪餐会員復帰が無い旨の通知を受けた

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昨日まで今日の礼拝をオンサイトで出ることを考えていた(資料のプリントアウトをかばんにいれていた)。実際、自分の行動は随分緩くなっているからもう通っても良いかなと思っているけれど、礼拝出席者は高齢の人が多いし、急変して亡くなるケースをTwitter等で散見するので、昨晩の時点でオンライン参加を決断した。佐分利正彦氏から役員会報告があり、裁判の件として内容に触れずに検討するとあったので質問した。佐分利氏は答えないを連発したが、金井氏は現住陪餐会員復帰は認めないと明言した。

新生活117週目 - 「イエス・キリストの誕生」

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'Joseph's_Dream', painting by Gaetano Gandolfi, c. 1790
新国際訳聖書(NIV)では、Joseph Accepts Jesus as His Sonという見出しがついている。マタイ伝では、イエスの誕生前後にヨセフが4回夢で導かれたことが書かれている。容易に説明のつかない選択を行う際、行った際、それを「お導き」と考えるか、他人がそう見なすかは判断する人の解釈である。ヨセフがどういう人であったか、イエスとの関係がどうだったかには興味があるが、手がかりはほとんどない。

新生活116週目 - 「洗礼者ヨハネとイエス」

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St John the Baptist Baptizes the People
恐らく洗礼者ヨハネの予想に反して、到来した神の化身は力強い裁く人ではなく、民衆の側で生活する愛の人だった。不思議なことだが、2,000年を経ても多くの人がその誕生を記念し、その道を知ろうとしている。知りたいと思うとともに、一歩でも足を進めなければと思う。

新生活115週目 - 「洗礼者ヨハネ、教えを宣べる」

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St John the Baptist in the Desert
イエスを待つというアドベントは単に誕生日を祝う準備ではない。この世の、自分の問題として、イエスを待つ。待つだけではなく、自分が悔い改めて変わらなければいけない。それが難しいことであっても、出口があることを信じて待つ思いを確認する時期でもあるのだと思う。