キリスト教

新生活153週目 - 「ペトロ、信仰を言い表す」

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ナントのサン・ピエール・サン・ポール大聖堂の銘板
改めて天の国の鍵とは何かを考えると、それは今生きているこの時代とこの場所で自由と人権の確立する行動への勇気ではないかと思うのである。専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努め続ける勇気と言い換えても良い。権力への反抗は本質的に避けられないものだと思う。

新生活148週目 - 「「毒麦」のたとえ〜「からし種」と「パン種」のたとえ」

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"But while men slept, his enemy came and sowed tares."
信仰告白を行うのは川を渡ってしまうことと同じで、対岸から見える景色を見ることができなくなる。使徒信条で「かしこより来たりて生ける者と死にたる者とを審きたまわん」と終末の裁きを信じていると表明しているが、その存在を証明することも裁判の結果を予想することもできない。悪魔が毒麦の種を蒔くという解釈はわかりやすいが、違和感がある。

腐敗した組織を回復させるのは難しい

腐敗した組織は綺麗事を言うようになる。砧教会は最近、「真理はあなたたちを自由にする」という招詞を唱えさせるようになった。それを強制的に唱えさせるということは、自らに真理がないのを告白するのと同じである。あるいは、自分を社会の外において傍観している表明とも取れる。真理を追求しない組織に明日はない。行動の伴わない綺麗事は破滅の源泉だ。