キリスト教

新生活160週目 - 『「婚宴」のたとえ』

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Brunswick Monogrammist: Parable of the Great Banquet
祭司長や民の長老たちが糾弾されているのは自明だが、同じ構図が現代のキリスト教会でも成立してしまうケースはあるだろう。預かった権威を自己保有の権力と考えてしまうのは、人間の性質としてかなり根源的なものなのだと思う。目を覚ましていて、本物を追求し続けるしか無い。

新生活159週目 - 『「ぶどう園と農夫」のたとえ』

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Illustration in 1883 encyclopaedia of the ancient Jewish Sanhedrin council (from Greek synedrion, synhedrion)
「神の国はあなたたちから取り上げられ、それにふさわしい実を結ぶ民族に与えられる」はマタイ伝だけに出てくる記述だが、この発言が本当にあったか否かでこの箇所の意味は大きく変わると思う。この記事では、本当にあったという視点で書いた。

新生活157週目 - 『「ぶどう園の労働者」のたとえ』

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Rembrandt: Parable of the Laborers in the Vineyard
新共同訳では「天の国は次のようにたとえられる。」と切っているが、英語聖書を見ると、「天の国は〜の主人のようなものである」と訳している。日本語だと天の国は場所で、その支配者が神と想像するが、英語だと場所というよりその働きに焦点があたっているように読める。

新生活153週目 - 「ペトロ、信仰を言い表す」

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ナントのサン・ピエール・サン・ポール大聖堂の銘板
改めて天の国の鍵とは何かを考えると、それは今生きているこの時代とこの場所で自由と人権の確立する行動への勇気ではないかと思うのである。専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努め続ける勇気と言い換えても良い。権力への反抗は本質的に避けられないものだと思う。