エレミヤ書20章 「エレミヤの告白」 説教を聞いている間は、そこから何が得られるのかと集中できるのが良い。実際には、他ごとが頭に浮かんできて集中力が削がれることも多いし、説教者の状況次第でがっかりさせられることも少なくないが、そこに学びの機会は必ずある。 タグ キリスト教 エレミヤ書20章 「エレミヤの告白」 の続きを見る
新生活124週目 - 「地の塩、世の光」 今は日本基督教団砧教会役員会から2023年1月31日付けで「最終的なお便り」として貴方の現住陪餐会員への復帰は当分の間見合わせることとしますとの書面を受け取った私にとって、地の塩のメッセージをどう受け取るのが適切なのだろうか。改めて、私は不義と戦うことを宣言する。泣き寝入りしても良いことがあるとは思えない。 タグ キリスト教 新生活124週目 - 「地の塩、世の光」 の続きを見る
砧教会役員会から返信が来た 残念ながらゼロ回答だった。総会決議違反の事実があったかなかったに関する回答は含まれていなかった。常識的に考えれば、事実を明らかにすることはできないということで、不義があったという告発を論理的に否定できないということにほかならない。 タグ キリスト教 砧教会役員会から返信が来た の続きを見る
『武器としての国際人権 藤田早苗』を読んだ 武器としての国際人権 日本の貧困・報道・差別 (Japanese Edition). Kindle 版. はお薦めできる一冊だと思う。 タグ ライフスタイル 政治 キリスト教 『武器としての国際人権 藤田早苗』を読んだ の続きを見る
新生活123週目 - 「山上の説教を始める」 「心の貧しい人々は、幸いである」は何を意味しているのかわからない。学者、一般人に限らず、様々な人が様々な説を提示している。幸せになるということはどういうことを意味しているのだろうか。 タグ キリスト教 新生活123週目 - 「山上の説教を始める」 の続きを見る
新生活122週目 - 「ガリラヤで伝道を始める・四人の漁師を弟子にする・おびただしい病人をいやす」 ガリラヤはイスラエル視点では辺境で、多様な人が行き来する街だった。エリコだってエルサレム神殿からはそれなりの距離がある都会の辺境だったが、サマリヤの向こうにあるガリラヤはほとんど異国だっただろう。辺境を蔑んではいけない。 タグ キリスト教 新生活122週目 - 「ガリラヤで伝道を始める・四人の漁師を弟子にする・おびただしい病人をいやす」 の続きを見る
新生活121週目 - 「神の小羊」 洗礼者ヨハネには一定の社会的信頼が得られていた。彼がイエスについて証ししたという記事にインパクトはあるが、イエスがヨハネの認証を受けなければいけない理由はない。ただ、四福音書から想像するにヨハネの洗礼が変化の起点になっていたように感じられる。 タグ キリスト教 新生活121週目 - 「神の小羊」 の続きを見る
新生活120週目 - 「占星術の学者たちが訪れる」 今日の箇所にユダヤ人の王としてお生まれになった方とあるが、ユダヤ人の王として死ぬ方が生まれたのが現実だった。 タグ キリスト教 新生活120週目 - 「占星術の学者たちが訪れる」 の続きを見る
新生活119週目 - 「羊飼いと天使」 カトリック教会は1月1日を世界平和の日としているのだそうだ。ウクライナ侵攻は、内戦のような紛争ではなく本当の戦争だと思う。救い主が現れて世を正すことを期待する思いは禁じ得ないが、イエスはそういう救い主ではなかった。イエスがイエスと名付けられた日を世界平和の日として祝うのは好ましいことだと思う。もちろん強要するものではない。 タグ キリスト教 新生活119週目 - 「羊飼いと天使」 の続きを見る
新生活118週目 - 「イエスの誕生」 ルカ伝の生誕物語は史実ではなく創作だと思う。人口調査やヘロデ大王の死去時期など他のより確からしい歴史資料との整合性がない。だからといって、この記事が無価値というわけでもない。いろいろ含みおいた上で、クリスマスを愛でたい。 タグ キリスト教 新生活118週目 - 「イエスの誕生」 の続きを見る