キリスト教

新生活145週目 - 「平和ではなく剣を〜受け入れる人の報い」

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Icon of Jesus holding a sword
「自分の命を得ようとする者は、それを失い、わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである」は耳に痛い言葉だ。自分の正当性を証明する行為は自分の命を得ようとする行為となる。それでも自分が考える真実を安易に放棄してはいけないと思う。

新生活144週目 - 「恐るべき者〜イエスの仲間であると言い表す」

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Luther Bible, 1534
「覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはない」という言葉は、終わりの日の裁きを想像させる。私は、単純にその言葉を信じている。当然、自分は裁きの日に耐え得ないことになるが、それはそれとして、真理の追求を妨げる覆いは取り除くべきだと考えている。この箇所は、聖書を誰でも読めるものにしようとして異端とされたルターを想起させる。

新生活143週目 - 「群衆に同情する〜十二人を選ぶ〜十二人を派遣する」

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James Tissot: The Exhortation to the Apostles
弟子の派遣はとても大きなイベントと言える。イエスと弟子が共にいるうちは弟子は常にイエスに依存している状態にあるのに対して、派遣されれば自分あるいは仲間に頼らないといけない。伝道ツアーで言葉が届き覚醒した人もいるだろうが、一番大きな影響を受けたのは弟子たちだと思う。教会も信徒を送り出さないといけない。

新生活142週目 - 「イエスは命のパン」

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Jews Celebrating Passover. Ukrainian lubok, XIXth century
第二朗読はコリント前書。人間イエスの弟子の系譜となるヨハネ伝の聖餐の解釈と、復活のイエスに出会ったパウロの聖餐の解釈には差があると思う。記載のおどろおどろしさに怯むが、それ故に考えを深めることができる面がある。

新生活140週目 - ペンテコステ「イエス、弟子たちに現れる」

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Pentecost by Julius Schnorr von Carolsfeld. Woodcut for "Die Bibel in Bildern", 1860.
ペンテコステの「ほかの国々の言葉で話しだした」という記述は重大だと思う。イエスの復活というあり得ないニュースとそのメッセージが自国の隆盛を目指しているものではないというメッセージに驚かされ、考えを巡らせた人は少なくなかっただろう。