新生活168週目 - 「洗礼者ヨハネ、教えを宣べる」 画像 イエスが来た後でも、「道を真っ直ぐにせよ」というメッセージは消えない。洗礼は免罪を意味しない。信仰告白の事実を振り返って、ふさわしい実を結ぶような道を歩み続ける覚悟をした日に立ち戻って今日を生きるのが肝要である。 タグ キリスト教 新生活168週目 - 「洗礼者ヨハネ、教えを宣べる」 の続きを見る
新生活167週目 - 「目を覚ましていなさい」 画像 経済成長は飢える人を減らす。戦争を経て豊かになった人々もいる。その恩恵を受けている人は時に権力の暴走に口を閉ざすが、油断すると破綻して多くの不幸を招く。よくよく目を覚まして起きていることとその向こうにある未来を見ないわけにはいかない。 タグ キリスト教 新生活167週目 - 「目を覚ましていなさい」 の続きを見る
新生活166週目 - 「すべての民族を裁く」 画像 神の裁きに耐えられるかどうかを思い悩むなとは言わないが、現実の社会で権力の犠牲者をどうやって減らすかを熱心に考えることを避けてはいけないと思う。 タグ キリスト教 新生活166週目 - 「すべての民族を裁く」 の続きを見る
Kumu kunstimuuseumi 画像 今日は、最高気温が0度なので真冬日と言えるかは微妙だが、寒い中でも休日を楽しんでいる。 タグ Estonia キリスト教 ライフスタイル Kumu kunstimuuseumi の続きを見る
新生活165週目 - 『「タラントン」のたとえ』 画像 現実の世界では、力のあるものに富が集中するように見えるので、この箇所には納得感があるが、釈然としないものもある。 タグ キリスト教 新生活165週目 - 『「タラントン」のたとえ』 の続きを見る
東京を出て2週間 画像 日曜日に礼拝に通うようになれば、私の場合、とりあえずリズムはできてきたと考えてよいだろう。とはいえ、2週間の旅の疲れも溜まってきている。 タグ キリスト教 ライフスタイル 東京を出て2週間 の続きを見る
新生活164週目 - 『「十人のおとめ」のたとえ』 画像 教訓としてはわかりやすい箇所だと思うけれど、勝ち負けの視点で見てしまうと、この次には5人の中で戦いが始まってしまうに違いないと思うのである。私は目を覚ましていなさいという言葉は、相対的、比較優劣的なメッセージであってはいけないように感じている。福音書記者の理解が書かれているのだろう。 タグ キリスト教 新生活164週目 - 『「十人のおとめ」のたとえ』 の続きを見る
新生活163週目 - 「律法学者とファリサイ派の人々を非難する」 画像 「人に見せるためである」というのは分かりやすいが、一歩踏み込むと、神と人との間に割り込むことを意味している。人が本当にやってはいけないのは、神と人との間に割り込んで、神に代わって人を分け隔てしてしまうことだと思う。自らにさばきを招く行為である。 タグ キリスト教 新生活163週目 - 「律法学者とファリサイ派の人々を非難する」 の続きを見る
新生活162週目 - 「最も重要な掟」 画像 私の好きな聖句のひとつである。今晩から、しばらく欧州出張のため時差の関係もあり砧教会の礼拝には恐らくオンラインでも参加できないが、遠いところにいても砧教会の正常化を祈り続ける。 タグ キリスト教 新生活162週目 - 「最も重要な掟」 の続きを見る