新生活213週目 - 「ヤコブとヨハネの願い」

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The Holy Chalice of Valencia
改めて読むと「あなたがたは、自分が何を願っているか、分かっていない」は、受洗時の私に向けられた言葉と取ることもできる。分かっていない信仰告白も受け入れられるが、重い責任が伴うことも覚悟しなければいけない。重い責任を伴うことを理解できたときに、あの時信仰告白できて良かったと思えれば幸せなことだ。

新生活212週目 - 「金持ちの男」

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Heinrich Hofmann, "Christ and the Rich Young Ruler", 1889
「金持ちの男」は、この絵画のようにきらびやかな装いだったのだろうか。豊かな暮らしを経験してしなうと、自分が誰とも同じただ一人の人間に過ぎないことを自覚するのは難しくなる。凋落期の自覚は恵みと言っても過言ではないと思う。力が失われ続けても、やれることはなくなりはしない。善く生きることは誰にでもできる。

新生活211週目 - 「離縁について教える~子供を祝福する」

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Christ Blessing Little Children
子供は弱い存在で、何らかの保護がなければ生きていくこと自身が難しい。死別も離婚もなく平和な家庭で愛を注がれるのが望ましいが、それだけを原則とするような制度設計は現実的ではない。

新生活210週目 - 「逆らわない者は味方~罪への誘惑」

イエスは、まずイエスの名を出してメッセージを伝えるということを優先して良いと判断したのだろう。現実的で怖い感じもあるが、確かに社会を動かした。そして今も影響を与え続けている。邪な教えの跋扈を許すが、一定の期間を経て社会に自浄作用が働けばより良い未来が期待できる。失われた命や様々な犠牲がこの世で回復されるとは限らないが、死んでも終わりでないのであれば回復もあり得ると考えて良いだろう。