Drupal 8.7.4をさくらのクラウドのDebian 9.9上でセットアップしてみた

hagi2019/07/12(金) - 11:04 に投稿

今風にやるなら、コンテナで作って上げるのだろうが、私はまだサーバー上で一から設定を行っている。

まず、さくらのクラウドの管理画面から、Debian 9.9.0 64bitのインスタンスを立ち上げ、コンソールから、まずユーザー(poc)を登録、sudoグループへの追加、ssh経由でのrootログインの禁止など一定のセキュリティ対策を実施する(ここでの記載は省略)。以下は、sshでの接続で行う。

サーバーのインスタンスが立ち上がったら、DNSにAレコードを登録する。私の場合は、お名前.comを利用している。今回はpoc.ulslab.netに割り振られたipアドレスを登録した。DNSは反映までに時間がかかるので、このタイミングでやっておくのが良い。

最初は、環境の更新とaptitude、vim、mysql-server、apache2のインストールを行う。suして管理者権限で実行した。

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Drupal8.7リビジョンアップで複数の困難があった

hagi2019/07/10(水) - 12:30 に投稿

Drupal8.7からTaxonomy TermとMenuにリビジョン管理が追加された。

機能自身は望ましい事だし、当然対応しなければいけないのだが、リビジョンアップのスクリプトが複数個所で失敗した。そのため、8.7をブロックして8.6.16で運用を続けていたのだが、その間に8.7.4までリリースが進んだので、もう本腰をいれて取り組むことにした。これはそのトラブルシュートの記録である。

まず、リビジョンアップをする。

composer require drupal/core:8.7.x webflo/drupal-core-require-dev:8.7.x egulias/email-validator:2.x

composer update --with-dependencies

最初のcomposerコマンドでロックが解除されるので、その後updateをかけた。もっと良い方法があるのかも知れないが、まあそれで動くので大丈夫だと思う。

次は、データベースのアップデートをかける。

vendor/drush/drush/drush updb

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SIに未来はあるか

hagi2019/07/06(土) - 13:40 に投稿

SIerを卒業して6年余。外から見るようになってSIに対するニーズの強さを感じている。また改めて「優秀な開発チームの育成」に成功するか否かがSIの持続的な成長に直結すると考えるようになった。大きくない会社でも良いチームはある。しかし、品質の織り込みと維持管理は組織が大きくて分業が機能しないと実現が難しいから大きなSIerには価値がある。まだまだ進化の余地があると思う。個々に見れば今巨大でも消えていく企業はあるだろうが、ニーズは無くならない。

 

オープンソースソースコミュニティとしてのDrupalを見ていると、SIの弱点は良く分かる。SIは基本的に一点ものを作っているわけだから、開発が終わればそのソフトウェアの成長は止まる。一方でコントリビューションされたソフトウェア(モジュール)はユーザーがつけば課題が提起され、改善活動が続いていく。

オープンソースでコントリビューションされたソフトウェアは誰でも使えるから、エンジニアが企業を辞めた場合でも、自分が書いた部分が公開されていれば再び書き直す必要がない。エンジニアは個人や気の合う仲間のチームで独立していく機会が増える。SIから見ると従業員支配力は落ちるが、市場競争力は上がる。Drupalの創始者が経営するAcquia社はSIで成功しているように見える。

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子供の頃、普通は嫌で、普通にあこがれていた

hagi2019/07/01(月) - 20:14 に投稿

子供の頃、普通は嫌で、普通にあこがれていた。でも、学校、学年学級は与件で疑いは持っていなかった。私は通う学校が一つである必要は無いと思う。
同質性の高い空間では、単一のものさしで測って優劣を競う。成績の善し悪しや競争のタイムもそうだ。それは分断を生む。体育系とか理系とか軸を選んで、他を異質なものとして排斥する。
現実の社会は多様性に満ちている。一番身近な違いは性別と年齢だろう。
学年学級男女別学は同質性を高め差を小さくする。常勝者が出にくいから具合が良い。男女を混ぜると物理的な力での優劣は越えがたくなり男子優位が「あたりまえ」に思うようになってしまう。いつの間にか、隷従が美徳に変わってしまう。
安全が保障されるようになれば、隷従は継続し得ない。半数(女性)が不利になるような常識あるいは普通の考え方は長期で見れば続くことはあり得ない。
多様性あるいは「ごちゃまぜ」な空間が機能するためには、一人ひとりの安全と尊厳が守られている必要があると思う。決してやさしい事ではない。しかし、専制の誘惑に抗う訓練は必要な事だと思う。入学選考基準で絞りすぎると疑似理想郷の実現になってしまって社会と乖離してしまうし、ゆるければ差別意識に汚染されてしまう。

Imagine

hagi2019/06/26(水) - 16:35 に投稿

ジョンレノンが歌った頃は、東西問題も南北問題もリアルに存在していた。ファクトに基づいて考えれば、東西問題も南北問題も今は存在していないと言っても良いようになった。ゼロにはなっていないが、共通ルールに基づく協力は可能になったし、国家間格差も比較すれば激減している。そして、さらに削減することはできるし、むしろ気象問題など協力しなければ解決できない問題の方が深刻であることが分かってきている。

しかし、そういう方向への変化が嫌な人はいるのだ。力で解決したい野蛮さに立ちたい人はいる。フェアな競争ではなく、アンフェアな方法でも勝ちたい衝動を抑えられない。誰にもそういう悪魔の誘惑は働きかけてくる。ついそちらに流れないで一歩踏みとどまって自分の頭で考えよう。

国はあっても良い。宗教もあっても良い。世界が一つになれなくても良い。しかし、国や宗教が人を傷つけない世界は目指すべきだ。
「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しよう」

日本は国政選挙を迎えつつある。
「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しよう」
まず、最初の一歩として、嘘つきを権力の座につけないようにしようではないか。

文章に内在する訴求力は書いた人の思いが宿ると思う

hagi2019/06/21(金) - 23:24 に投稿

天が下の萬の事には期あり 萬の事務には時あり
生るに時あり死るに時あり 植るに時あり植たる者を抜に時あり
殺すに時あり醫すに時あり 毀つに時あり建るに時あり
泣に時あり笑ふに時あり 悲むに時あり躍るに時あり
石を擲つに時あり石を斂むるに時あり 懐くに時あり懐くことをせざるに時あり
得に時あり失ふに時あり 保つに時あり棄るに時あり
裂に時あり縫に時あり 黙すに時あり語るに時あり
愛しむに時あり惡むに時あり 戦ふに時あり和ぐに時あり
働く者はその勞して爲ところよりして何の益を得んや

何事にも時があり/天の下の出来事にはすべて定められた時がある。
生まれる時、死ぬ時/植える時、植えたものを抜く時
殺す時、癒す時/破壊する時、建てる時
泣く時、笑う時/嘆く時、踊る時
石を放つ時、石を集める時/抱擁の時、抱擁を遠ざける時
求める時、失う時/保つ時、放つ時
裂く時、縫う時/黙する時、語る時
愛する時、憎む時/戦いの時、平和の時。

アメリカの中絶問題に感じる民主主義の限界

hagi2019/06/18(火) - 16:53 に投稿

アメリカではキリスト教保守派(むしろ原理主義)が猛威をふるっており、ハートビート法といわれる中絶禁止法が複数州で成立した。

心臓が鼓動を打ったら、それ以降は中絶は殺人という考え方で、堕胎術を行った医師は99年の刑に問われる可能性がある。レイプされて妊娠しても妊娠した女性に選択肢を認めないわけだから、悲惨な思いをする事になる人もいるだろう。

Pro-Life、Pro-Choiceというキーワードにすると、生命優先主義、親の選択権優先主義という単純化がなされる。原理主義的には中絶は殺人で、さらには避妊すら許さないという考えに立つ人もいる。Pro-Choiceの人の中にもキリスト教の信者は少なからずいて、宗教に関わらず殺人はいけないことだとほぼ全員が考えていると言って良いだろう。ハートビートから生きた人間と考えようよと言われたら、異議は表明しにくい。

一方で、望まない妊娠をした人にとっては、中絶の違法化は自分の人生の選択肢を奪う。結局、間接的にその人の命を奪うことになるかもしれない。

原理主義は、意見を集約しやすいのだ。その上、内側と外側を区別して、外側にいる人を人間として見ることすら難しくさせる。宗教の持つ悪魔性だ。本当は内側に留まれるのは単に運が良いだけだし、そもそも内側という概念そのものが幻想だろう。

仙台遠征

hagi2019/06/17(月) - 15:54 に投稿

一度訪問したいと思っていたノラヤが閉店するというので仙台を訪問した。今週で閉まってしまうのでギリギリセーフだった。

残念ながら店主以外の利用者はいなかったが、雰囲気はどことなくPaxCoworkingに似た感じで、もし自宅から近ければ定期的に訪問する場所になっていた可能性を感じた。少しお話し、自分の仕事をして約2時間半を過ごした。

ノラヤの店主のお奨めで近所のThe6も訪問した。古い6階建てのビルをリノベして住居とシェアオフィス、コワーキングを収めた興味深いスペースである。3周年記念のパンフレットを見るとドロップインの利用者が170名とある。私が訪問した時は数名の来訪者があった程度で落ち着いた感じだった。

私はほとんどフリーランサーのような働き方なので、在宅で大抵のことは済むが、人恋しくなる。コワーキングスペースは私にとっては憩いの場になる。やっていることは、普段と全く変わらないが、移働は楽しい。しかし、常連にならなければコワーキングの醍醐味は味わえない。ああ、帰ってきたと思えるようにならないとつまらない。

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コワーキングスペースとコミュニティ

hagi2019/06/17(月) - 14:22 に投稿

コワーキングスペースの先達はほぼ間違いなくコミュニティの重要性を強調する。しかし、アンケート等を取ると、利用者の選考基準としてはコミュニティに関する期待は大きくない。むしろ、話しかけられないスペースを好む人の方が多いという声を聞く。

Global Coworking Surveyでも、その傾向が出ており、CUAsiaでその発表があったときにはため息が出たともいう。

企業の従業員の場合はさらにその傾向は高そうで、無人で受付の人とも会話が無いほうが良いという希望、場合によっては受付の人に声をかけられるのが不快と考える人もいる。

コミュニティは、人の集まりなので、割とキーとなる多くの人とのつながりがある人が核になりやすい。その人がイベントをやれば、場所はあまり関係ない。全く関係ないわけではなく、居心地の良い場所とキーパーソンとの接点の組み合わせ、出席者の性質(性格、性向)が満足度に影響を及ぼす。

コワーキングスペースは、かなり認知度が上がってきていて、シェアスペース自身は珍しくなくなった。単なる作業場所であれば、自習室もあれば、タッチダウンオフィス、場合によっては喫茶店も候補となる。イベントスペースも選択肢は広がってきていて、安価なスペースから高機能なもの、ゴージャスな場所も選択できるようになった。

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