コワーキングスペースとコミュニティ

hagi2019/06/17(月) - 14:22 に投稿

コワーキングスペースの先達はほぼ間違いなくコミュニティの重要性を強調する。しかし、アンケート等を取ると、利用者の選考基準としてはコミュニティに関する期待は大きくない。むしろ、話しかけられないスペースを好む人の方が多いという声を聞く。

Global Coworking Surveyでも、その傾向が出ており、CUAsiaでその発表があったときにはため息が出たともいう。

企業の従業員の場合はさらにその傾向は高そうで、無人で受付の人とも会話が無いほうが良いという希望、場合によっては受付の人に声をかけられるのが不快と考える人もいる。

コミュニティは、人の集まりなので、割とキーとなる多くの人とのつながりがある人が核になりやすい。その人がイベントをやれば、場所はあまり関係ない。全く関係ないわけではなく、居心地の良い場所とキーパーソンとの接点の組み合わせ、出席者の性質(性格、性向)が満足度に影響を及ぼす。

コワーキングスペースは、かなり認知度が上がってきていて、シェアスペース自身は珍しくなくなった。単なる作業場所であれば、自習室もあれば、タッチダウンオフィス、場合によっては喫茶店も候補となる。イベントスペースも選択肢は広がってきていて、安価なスペースから高機能なもの、ゴージャスな場所も選択できるようになった。

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幸せとは何だろう

hagi2019/06/16(日) - 21:54 に投稿

今日、私は礼拝の司会を担当した。

説教が始まって、妙齢の女性の具合が悪くなった。支えられて休憩室に向かったが、倒れてしまった。新しい方に救急車を呼んでいただき、家族の方に連絡をして救急車に共に乗っていただいた。

礼拝の担当として、牧師に説教の再開を止めて、待ちましょうと言った。それが正しい事だったかは分からない。しかし、会衆は待ってくださった。

振り返って、その女性はどうしても礼拝に来たかったのだと思う。

私はそれは素晴らしく幸せな事だと思う。命をかけていきたいと思う場所があるという事は本当に幸せな事だと思う。

またきっと来て下さるだろう。

Drupal bootstrap 8.x-3.19 とSASSサブテーマ

hagi2019/06/05(水) - 15:23 に投稿

もう、Bootstrap4の時代なのだろうが、まだBootstrap3を使っている。

DrupalのBootstrapサブテーマで、SASSを使って動かしていたプロダクションサイトでDrupal側のテーマをbootstrap 8.x-3.19に上げたテストをしたら動かなくなったので、テーマを上げずに使い続けているサイトがある。割とえいやっと動かしていたので、あらためてどう動いているかを確認しながら、準備を整えたので記録しておく。

 

8.x-3.19では、サブテーマ作成用のstarterkitが整理されてきれいになった。8.x-3.17では、themeのstarterkitsのディレクトリの下に、cdn、less、sassのサブディレクトリがある。SASSを使う場合は、このsassのディレクトリを使って、サブテーマを作る。8.x-3.19ではTHEMENAMEという唯一のサブディレクトリがあって、そこからサブテーマを作る(https://www.drupal.org/node/3049485)。

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寂しがり屋のノマドとコワーキングスペース

hagi2019/06/03(月) - 12:19 に投稿

先日CUASIAの報告会のパネルで、コワーキングスペースに行くノマドは寂しがり屋だという発言があった。

彼女の説では、寂しくないノマドも居て誰にも会わなくても全然平気なタイプの人もいるそうだ。しかし、私の知る限り、長期に渡って寂しさを感じない人はほとんどいない。

私は、今固定的なオフィスを持たずに働いているので、在宅もあるけれどある種ノマド的な働き方を行っている。つまらない事だが、ワークプレースでおはようございますと挨拶したり、仕事終わりにお先に失礼しますと言ったらお疲れさまでしたと答えが返って来るかどうかだけでモードが切り替わる。特に、誰かと話がしたいというわけではあまりないが、気分の切り替えがうまく機能しないと生産性が落ちる。私の場合は、モード切替のために何気ない話であっても会話のできる場所に足を運ぶ。コワーキングスペースやカウンターバー、カウンター喫茶はそういう場所の候補だ。オフィスワークをしていた頃は、基本的にはサードプレースは無くても困らなかったが、今の私にはそういう場所が必要だ。寂しがり屋である。

働き方改革Expoで私にとって一番インパクトのあったのはITOKIだった

hagi2019/05/30(木) - 21:24 に投稿

5月29日〜31日にかけて青海で働き方改革Expoが開催されている。本日2日目に2時間かけて見学した。

今回一番ビックリしたのは、ITOKIがABWとWELL Building Standardを強力に打ち出していた点だ。OkamuraもABWがキーワードとして用いられていた。まだ、ユーザー側では認知度は低いが、プロバイダ側ではABWは確実に定着してきているのだと思う。

ITOKIは現在の世界的リーダーであるVELDHOEN+COMPANYと組んで、ABWを中核に行動デザイン、ITデザイン、ワークプレイスデザインをモデル化している。さらに、パンフレットに「10の活動」(Activityのこと)を明記している。Leesman Indexの21のActivityより少ない分わかりやすいし、取り組みやすい。WELLはLeesman Indexの2つのFeaturesに関わる空間品質標準なので、国際的なデファクト標準に基づく現時点で最もオーソドックスなアプローチを打ち出している。ああ、こういう時代がついに来たのかとちょっと感動した。

書評:深井智朗著「プロテスタンティズム 宗教改革から現代政治まで」中公新書2017年4月15日再版版

hagi2019/05/11(土) - 16:04 に投稿

書評:深井智朗著「プロテスタンティズム 宗教改革から現代政治まで」中公新書2017年4月15日再版版

2018年5月28日萩原高行

Communityという言葉

hagi2019/05/09(木) - 13:04 に投稿

コワーキングスペースでは、コミュニティという言葉が大きな意味を持つ。

Co-workingと書くと、語感として複数の企業等が同じ場所で働くという意味になり、シェアオフィス的なイメージとなる。Coworkingと書くと、異なる仕事をする人が同じ場所で働くという点では同じだが、そこにCommunityが存在しているという意味を含む。最近は、それが紛らわしいので、CoworkingをCommunity coworkingあるいはCommunity co-workingと書こうと言う人がいる。私は、Community coworkingという表現は良いと思う。

コワーキングスペース(Community coworking space)には基本的にコミュニティマネジャーがいる。コミュニティに責任を持つ人という意味だ。機能のマネジメントではなく、コミュニティのマネジメントを行うという考え方だ。Co-working spaceにはコミュニティマネジャーは必要ない。無人管理でも良いのだ。

このコミュニティという言葉が非常にやっかいだ。

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Google FI

hagi2019/05/08(水) - 15:29 に投稿

Google FIはGoogleが米国で展開しているMVNOによるモバイル通信サービスである。

私は2009年にアメリカに赴任した時に、T-mobileでアンドロイドデバイスのT-mobile G1を契約した。今も、その番号をずっと維持している。銀行口座もクレジットカードも口座開設後10年を超えて継続利用している。

Googleからキャンペーンのメールが来たので、今回出張時に思い切って、T-mobile (iPhone SE)からGoogle FIにナンバーポータビリティを利用して契約切り替えを行った。T-mobileも国際ローミングが使えるので、日本でもインターネットを月に1GBまで利用できサービスには満足していた。ただ、米国外では追加料金を払わないと4Gのスピードがでないのと、自分の求める使い方だとGoogle FIの方が料金が安い。

自己責任あるいは自業自得

hagi2019/05/07(火) - 18:38 に投稿

過去のコンタクトを復旧できる範囲で見直している。記念として取っておいた名刺には、Scott G. McNealy氏やSteve Ballmer氏のものもあった。また、自分の名刺の未使用分など100種類ほどが見つかった。もちろん、離職前に挨拶に行ったりして離職後にも関係を続けたいと断った人以外についてそのコンタクトを使ったことはない。今は、SNSやLinkedInがあるので、検索して見つかって新たにコンタクトを取れば良いだけだから、どうせ名刺など直近で交換したものを除けば使うことはない。この度、それらの記念品も処分することにした。

1,000枚を軽く超える記念品を眺めていて、思い出すことのできない人も半分以上いる。研究会の懇親会や交流会、たまたま一度だけあった人などよほどのことがなければ記憶に残らない。しかし、一度で強烈な印象を残した人もいるし、仕事が変わってビジネス上の関係がなくなっても、10枚を超える異なる名刺を受領した人もいる。中には他界した人もいるし、疎遠になった人も少なからずいる。