新生活223週目 - 「神殿での少年イエス」 画像 繰り返し同じ箇所を読み直して、3年前と比較していると、徐々にその箇所の話だけではなく自分で調べたりした前後や背景などを面で考えるようになって来る。所詮、専門教育を受けていない無学なものの考察に過ぎず間違いも多いだろうが、イエスを取り巻く環境がどうだったのかが見えてくるような気がする。 タグ キリスト教 新生活223週目 - 「神殿での少年イエス」 の続きを見る
クリスマス礼拝が終わった 画像 クリスマス礼拝は私にとっては区切りとなるイベントだ。感覚的には一年はこれで終わりで、でも新年は開けてはいない。逢魔が刻か夜明け前かという感覚である。 タグ キリスト教 ライフスタイル クリスマス礼拝が終わった の続きを見る
新生活222週目 - 「マリア、エリサベトを訪ねる」 画像 エリサベトはルカ伝にしか登場しない人物。神殿奉献が事実だったとすれば、マリアとの関係は夫であり大祭司でもあったザカリアが神殿奉献された3歳のマリアを受け入れた時から始まっていたはずだ。だとすると彼女は実質的な養母で、実の娘のように愛情を注いでいたのではないかと思う。 タグ キリスト教 新生活222週目 - 「マリア、エリサベトを訪ねる」 の続きを見る
『バルトの光と風』は1999年の訪問に基づいて書かれている 画像 1999年を思い出すのは結構難しい。大きく変わったこともあり、ほとんど変わっていないこともある。 タグ Baltic countries Estonia ライフスタイル 『バルトの光と風』は1999年の訪問に基づいて書かれている の続きを見る
新生活221週目 - 「洗礼者ヨハネ、教えを宣べる(中盤)」 画像 一世代から二世代上の方は敗戦の記憶があり、社会体制は大展開した。邪悪な日本兵が平和を希求する存在に変わったとも言える。実際に兵役を経験して、これはやっぱり違うものだと感じた人は多かっただろう。しかし、一度入ってしまえば権力構造に従うしか道はない。ヨハネは、「だれからも金をゆすり取ったり、だまし取ったりするな。自分の給料で満足せよ」と言ったと書かれている。その声が日本兵に届いたとしても周囲の目もあるから、それすら守る自由はなかっただろう。人に対して悪を行わないようにせよという教えを超えて、人を愛せという教えでイエスはこの世界を変えた。 タグ キリスト教 新生活221週目 - 「洗礼者ヨハネ、教えを宣べる(中盤)」 の続きを見る
Klooga Manorに行ってきた 画像 Manorは恐らく貿易商でもある。ドイツの信用があって取引ができるから、少なくとも最初は地元の農民が同じ商売をやることは不可能だっただろう。しかし、やがてきちんとした品質があることがわかれば、Manorを介さずに安く取引できればその方が良くなる。現地の人は、搾取されつつも外を見る機会には恵まれないから、独立だけでは足りない。他の支配者を見るなどして、やり方を学ぶような人が現れて、変わっていくのだろう。果たして、シリアはその生産物が適切に評価されるような形で正常化できるのであろうか。 タグ Estonia ライフスタイル Klooga Manorに行ってきた の続きを見る
タリンでのペットボトル等のリサイクルとデポジット、デポジット回収 画像 ちょっとした挑戦で、Rimiのリサイクルのやり方を習得した。ああそういうことだったのかという程度のことではあるが、こういう理解はちょっとうれしいのだ。 タグ Estonia ライフスタイル タリンでのペットボトル等のリサイクルとデポジット、デポジット回収 の続きを見る
新生活220週目 - 「洗礼者ヨハネ、教えを宣べる」 画像 ヨハネが引用した「人は皆、神の救いを仰ぎ見る」ではなく、イエスは一人ひとりの小さな愛の積み重ねで救いを感じる社会をつくろうと呼びかけていたのだと私は感じている。 タグ キリスト教 新生活220週目 - 「洗礼者ヨハネ、教えを宣べる」 の続きを見る
タリン版「(かもめ食堂の)森に行ってきます」 画像 タリンは中心部から20分ちょっとで森にアクセスできる。 タグ Estonia ライフスタイル タリン版「(かもめ食堂の)森に行ってきます」 の続きを見る