ライフスタイル
テッサロニキ訪問を思い出した
テッサロニキには2018年11月に訪問した街だ。今日テサロニケの信徒への手紙一の1章を読んで、何でパウロは早期にテサロニケに伝道したのか考えた。改めて地図を見るとエーゲ海はイスタンブールで黒海に抜ける。その対岸はオデーサやクリミアだ。私の感覚ではウクライナは遠い無関係な地ではない。つながっている場所だ。
民事訴訟に学ぶ2
今日の時点では、訴訟を起こしてよかったと思っている。これまで私が知らなかった事実が準備書面の資料で開示され、自分の思い込みの一つが解消した。実害が出る前に解消できていたら良かったのにと思った。
民事訴訟に学ぶ
民事訴訟を起こせば、第三者の評価を得られる。それは国民の権利だ。しかし、副作用として虚偽発言をした人が刑事罰に問われるリスクがある。望まない被害が起きないように慎重に動かなければいけない。
制服あるいはマスゲーム
子供からすれば、地球防衛隊ごっこと変わらないし、集団で同じ方向を向いて一緒に行動できると嬉しいのだ。しかし、集団行動あるいは集団幻想は考える力を奪う側面がある。実際に戦地に行ってからその愚かさに気がついても手遅れだ。
もう「性同一性障害」、障害という言葉を使うのはやめよう
もう「性同一性障害」、障害という言葉を使うのはやめよう。障害と名付けることは普通でないとすることであり、疾患で治療できるなら治療するのが正しいこととなってしまう。私達が正常と異常を決める価値観の多くにはバイアスがかかっていて、私達はいかに善良であっても有能であってもその呪いの存在に気付くことは困難だ。しかし、その呪いから自由になれば差別を減らし、自分にも恩恵が返ってくる。
ニューノーマルはどうなったのか
ニューノーマルは避けていても結局来る。それはデジタル・トランスフォーメーションそのものだ。
やってはいけないことをしてしまった罪は罰を受けても消えはしない
ロシア政府がウクライナでやっていることで、教科書をウクライナ語からロシア語に変えた話などがでているが、それはかつて日本が中国や朝鮮でやっていたことだ。この動画でウクライナ政府は政治的には失敗したと思うが、日本の人たちがその画像を見て怒ってしまうとしたら、自分達は道を踏み外しかけていると気がつくべきだと思う。
Google takeout
ロケーション履歴(タイムライン)をダウンロードしてみたら、2013年5月28日から2022年4月21日までの全データがJSONフォーマットで990Mバイトだった。思っていたより小さかったし、これでいつでも自分の過去のロケーション分析が可能になると思ったらちょっとうれしくなった。改めて有用性と危険性を感じることができた。
アイデンティティ再考
アイデンティティは自分史でもある。デジタルアイデンティティはデータ化されたアイデンティティで扱える量が軽く100万倍とかになる。無戸籍が不利益をもたらしたように、デジタルアイデンティティをよく考えておかないと将来得られるべき権利が得られないリスクがある。