新生活27週目 - 「ピラトから尋問される~イエスの死」

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Monastery of St Onuphrius in Hinnom Valley (Bounty24) Aceldama
今日の箇所は「受難の主日 (2021/3/28 マルコ15章1-39節)」。イースター直前の日曜日で、十字架のシーンを含む。イースターはクリスマスより理解が難しいし、イエスの死の過程に向き合うのは誕生を祝うことと比べれば明らかに苦しいものだ。つい逃げてしまうが、ここから逃げてしまうと何もかにもがキレイごとになってしまう。

一年前の今日

昨年3月22日に総会決議は行われた。公知の事実だから書いてもよいだろう。私はこの一年で自分では気がつくことはできないかも知れないが、すべての人が成長できたと思う。私は、元の日常がそのまま戻るとは考えていないが、明けない夜はないと信じている。

新生活26週目 - 「ギリシア人、イエスに会いに来る~人の子は上げられる」

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wikimedia イエスの入城(ジョット画)。ナツメヤシが描かれている。
「火曜日のエルサレムのバックステージ」説を考えてみた。日本に住んでいると、日本語と日本語以外の外国語という視点からなかなか自由になれないが、彼の地には複数の言葉が併存していた。「ギリシア語を話す異邦人」はヘブル語以外の人という風に考えてしまうが、実はイエスが使うアラム語はバビロンの影響を受けた言葉だ。世界宗教というのは私達が考えるより身近な概念だったのかもしれない。

黒歴史を思い出す

ナショナリズムや会社員としての行動規範は善意の塊なのだと思っている。吉と出ることも凶と出ることもあり、時間が経過しないとわからないことも多い。一方、視点を変えてみると、ナショナリズムや会社組織の常識は人権を蔑ろにする行為を生み出したり、平気で人を排除することができる邪悪な力にもなる。単純な善などどこにも存在しないが、良い未来を模索する自由は与えられていると思う。

新生活25週目 - 「イエスとニコデモ(後半)」

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A monument of the bronze serpent (which Moses erected in the Neghev desert) on Mount Nebo, in front of the church of Saint Moses (2018).
今年のイースターは4月4日。「四旬節・復活節の根本的なテーマはイエスの死と復活にあずかることです」というメッセージは重い。時代の流れに押し流されてしまえば、多くの場合イエスを十字架刑に処する側に立つことになる。しかし、イエスは殺しても復活し、2,000年を経ても影響を及ぼし続けている。私は神の国を見たい。「人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない」とはどういうことか。

現在利用中のTwitterアカウントが東北大震災由来だったのを思い出した

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HTC T-mobile G2
東北大震災の翌日に現在のTwitterアカウントを開設したことをすっかり忘れていた。当時一番確実な連絡手段はまだ今で言うキャリアメールであった。携帯電話(ガラケー)だとアンテナ3本でもスマホではつながらない場所はザラだった。10年。揺り戻しの動きが小さいとは思わないが、私は世の中は総じて見れば良い方向に動いていると思っている。

新生活24週目 - 「神殿から商人を追い出す~イエスは人間の心を知っておられる」

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十戎
宮きよめの記事は、子供の時には拍手喝采をもって読んだけれど、現実社会に長く生きているうちに、単純に喝采しても問題が解決しないことをおぼえる。多くの民主化の春は雪のように消え去ってしまう。ヨハネ伝の「イエスは、何が人間の心の中にあるかをよく知っておられたのである」の含意を考えてみた。